鬼谷子 / 摩篇
故聖所獨用者、衆人皆有之、然無成功者、其用之非也。故謀莫難於周密、說莫難於悉聴、事莫難於必成、此三者、唯聖人然後能任之。
新字:故聖所独用者、衆人皆有之、然無成功者、其用之非也。故謀莫難於周密、説莫難於悉聴、事莫難於必成、此三者、唯聖人然後能任之。
書き下し
故に聖の獨り用うる所の者は、衆人も皆な之を有す。然れども功を成す無き者は、其の之を用うること非なればなり。故に謀は周密より難きは莫く、說は悉く聴かるるより難きは莫く、事は必ず成るより難きは莫し。此の三つの者は、唯だ聖人にして然る後に能く之に任ず。
現代語訳
だから、聖人が独り用いるものを、多くの人もみな持っている。それでも功を成せないのは、その用い方が誤っているからである。だから、謀りごとは行きわたってすきまがないことより難しいものはなく、説くことはすべて聴いてもらえることより難しいものはなく、事は必ず成ることより難しいものはない。この三つは、聖人であってはじめて引き受けられる。
解説
手そのものは誰でも持っている。差が出るのは用い方だ、と言い切ります。前段の十通りの入り口も、特別な技ではありません。誰でも喜ばせることも怒らせることもできる。できないのは、正しく用いることのほうです。そして三つの難しさが挙げられます。謀りに穴がないこと、話を全部聴いてもらえること、事が必ず成ること。どれも「完全であること」の難しさです。部分的にできることと、漏れなくできることのあいだに、大きな段差がある。手を増やすより、いま持っている手を漏れなく使うほうが難しい、という指摘です。
この章句が説くこと
聖の独り用うる所は衆人も皆な之を有す其の用うること非なり周密実行判断
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