鬼谷子 / 摩篇
故曰:主事日成、而人不知、主兵日勝、而人不畏也。聖人謀之於隂、故曰神、成之於陽、故曰明。所謂主事日成者、積德也。用民安之、不知其所以利、積善也。而民道之、不知其所以然、而天下比之神明也。主兵日勝者、常戰於不爭不費、而民不知所以服、不知所以畏、而天下比之神明。
新字:故曰:主事日成、而人不知、主兵日勝、而人不畏也。聖人謀之於陰、故曰神、成之於陽、故曰明。所謂主事日成者、積徳也。用民安之、不知其所以利、積善也。而民道之、不知其所以然、而天下比之神明也。主兵日勝者、常戦於不争不費、而民不知所以服、不知所以畏、而天下比之神明。
書き下し
故に曰く、事を主どりて日々成るも、人知らず。兵を主どりて日々勝つも、人畏れざるなり、と。聖人は之を隂に謀る、故に神と曰う。之を陽に成す、故に明と曰う。所謂事を主どりて日々成るとは、德を積むなり。民を用いて之を安んずるに、其の利する所以を知らざるは、善を積むなり。而して民之に道われて、其の然る所以を知らず。而して天下之を神明に比す。兵を主どりて日々勝つとは、常に爭わず費やさざるに戰い、而して民の服する所以を知らず、畏るる所以を知らず。而して天下之を神明に比す。
現代語訳
だから言う。事をつかさどって日々成っているのに、人はそれを知らない。兵をつかさどって日々勝っているのに、人はそれを恐れない、と。聖人は陰においてこれを謀る、だから神という。陽においてこれを成す、だから明という。いわゆる、事をつかさどって日々成るとは、徳を積むことである。民を用いて安んじているのに、なぜ利益を得ているのかを民が知らないのは、善を積んでいるからである。そして民はそれに導かれながら、なぜそうなっているのかを知らない。そこで天下はこれを神明にたとえる。兵をつかさどって日々勝つとは、常に争わず費やさないところで戦っているということであり、民はなぜ服しているのかを知らず、なぜ恐れているのかも知らない。そこで天下はこれを神明にたとえる。
解説
うまくいっているのに、誰もそれに気づかない。これを最上とします。孫子の「善く戦う者の勝つや、智名も無く勇功も無し」と同じ思想です。実務では逆の圧力が働きます。成果は見えるようにし、貢献は説明する。そうしないと評価されないからです。ただ、この一節が指しているのは評価の話ではなく、状態の話です。うまく回っている組織では、なぜ回っているか現場の誰も説明できない。説明できるほど目立つ介入をしているうちは、まだ「常に争わず費やさざるに戦う」段階に来ていません。
この章句が説くこと
事を主どりて日々成るも人知らず争わず費やさざるに戦う徳を積む無為統率組織
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