鬼谷子 / 摩篇
摩者、揣之術也。內符者、揣之主也。用之有道、其道必隱。㣲摩之以其所欲、測而探之、因符必應。其應也、必有爲之。故㣲而去之、是謂塞窌匿端。隱貌逃情而人不知、故成其事而無患。
新字:摩者、揣之術也。内符者、揣之主也。用之有道、其道必隠。微摩之以其所欲、測而探之、因符必応。其応也、必有為之。故微而去之、是謂塞窌匿端。隠貌逃情而人不知、故成其事而無患。
書き下し
摩とは、揣の術なり。内符とは、揣の主なり。之を用うるに道有り、其の道は必ず隱る。㣲かに之を摩するに其の欲する所を以てし、測りて之を探れば、符に因りて必ず應ず。其の應ずるや、必ず之を爲す有り。故に㣲かにして之を去る。是を窌を塞ぎ端を匿すと謂う。貌を隱し情を逃れて人知らず、故に其の事を成して患い無し。
現代語訳
摩とは、推し量るための術である。内側の割符とは、推し量ることの主となるものである。これを用いるには道があり、その道は必ず隠れている。相手の欲するところによってわずかに触れ、測って探れば、割符が合うように必ず応えが返る。応えがあれば、必ずそれに対して手を打つことがある。だからわずかに触れて、そのまま去る。これを、穴を塞ぎ端を隠すという。姿を隠し実情を逃して人に知られない。だからその事を成しても患いがない。
解説
摩とは、相手にわずかに触れて反応を見ること。要点は「㣲かにして之を去る」——触れたらすぐ離れる。反応を確かめたら、そこに留まらない。留まれば、こちらが何を探っていたかが相手に分かります。営業でも交渉でも、相手の反応を見るための質問をしたあと、つい深追いして意図を露呈する場面があります。この書は、触れて、確かめて、去れ、と言う。そして「其の事を成して患い無し」——後腐れがない。目的を達しても恨まれないことまでを、術の要件に入れています。
この章句が説くこと
摩は揣の術なり㣲かにして之を去る微かにして之を去る貌を隠し情を逃る交渉観察
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