管子 / 輕重戊
桓公問管子曰:「民饑而無食,寒而無衣,應聲之正無以給上,室屋漏而不居,牆垣壞而不築,為之奈何?」管子對曰:「沐涂樹之枝也。」桓公曰:「諾。」令謂左右伯沐涂樹之枝。左右伯受沐涂樹之枝闊。其年,民被白布,清中而濁,應聲之正有以給上,室屋漏者得居,牆垣壞者得築。公召管子問曰:「此何故也?」管子對曰:「齊者,夷萊之國也。一樹而百乘息其下者,以其不也。衆鳥居其上,丁壯者胡丸操彈居其下,終日不歸。父老柎枝而論,終日不歸。歸市亦隋倪,終日不歸。今吾沐涂樹之枝,日中無尺寸之隂出入者長時,行者疾走,父老歸而治生,丁壯者歸而薄業。彼,臣歸其三不歸,此以鄉不資也。」
新字:桓公問管子曰:「民饑而無食,寒而無衣,応声之正無以給上,室屋漏而不居,牆垣壊而不築,為之奈何?」管子対曰:「沐涂樹之枝也。」桓公曰:「諾。」令謂左右伯沐涂樹之枝。左右伯受沐涂樹之枝闊。其年,民被白布,清中而濁,応声之正有以給上,室屋漏者得居,牆垣壊者得築。公召管子問曰:「此何故也?」管子対曰:「斉者,夷萊之国也。一樹而百乗息其下者,以其不也。衆鳥居其上,丁壮者胡丸操弾居其下,終日不帰。父老柎枝而論,終日不帰。帰市亦隋倪,終日不帰。今吾沐涂樹之枝,日中無尺寸之陰出入者長時,行者疾走,父老帰而治生,丁壮者帰而薄業。彼,臣帰其三不帰,此以郷不資也。」
書き下し
桓公管子に問いて曰く、「民饑えて食無く、寒くして衣無く、應聲の正上に給する無く、室屋漏りて居らず、牆垣壞れて築かず、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「涂樹の枝を沐るなり」と。桓公曰く、「諾」と。令して左右の伯に謂いて涂樹の枝を沐らしむ。左右の伯涂樹の枝を沐ることを受けて闊し。其の年、民白布を被り、中を清くして濁り、應聲の正に以て上に給する有り、室屋の漏る者は居るを得、牆垣の壞るる者は築くを得たり。公管子を召して問いて曰く、「此れ何の故ぞや」と。管子對えて曰く、「齊なる者は、夷萊の國なり。一樹にして百乗其の下に息う者は、其の然らざるを以てなり。衆鳥其の上に居り、丁壯なる者は胡丸彈を操りて其の下に居り、終日歸らず。父老は枝に柎りて論じ、終日歸らず。市に歸るも亦た隋倪して、終日歸らず。今吾れ涂樹の枝を沐り、日中に尺寸の隂無ければ、出入する者は時を長くし、行く者は疾く走り、父老は歸りて生を治め、丁壯なる者は歸りて業に薄る。彼れ、臣は其の三不歸を歸せしむ、此れ鄉を以て資らざるなり」と。
現代語訳
桓公が管子に問うた。民は飢えて食べ物がなく、凍えて衣がなく、決められた取り立ても上に納められず、家は雨漏りして住めず、塀は壊れても築けない。どうすればよいか。管子が答えた。道端の木の枝を刈り払うことです。桓公は、よし、と言った。令を出して左右の長官に道端の木の枝を刈らせた。長官はその命を受けて広く刈り払った。その年、民は白い布を身につけ、澄んでいたところが濁るほど賑わい、決められた取り立ても上に納められ、雨漏りする家は住めるようになり、壊れた塀は築けるようになった。桓公は管子を呼んで問うた。これはなぜか。管子が答えた。斉は夷や萊の地の国です。一本の木の下に百台の車が休めるほどなのは、木を刈ってこなかったからです。多くの鳥がその上にとまり、若者は弾き弓と玉を手にその下に居座って一日じゅう帰らない。老人は枝にもたれて論じ合い、一日じゅう帰らない。市から帰る者もそこでぐずぐずして、一日じゅう帰らない。いま道端の木の枝を刈り、真昼に一尺一寸の日陰もなくなれば、出入りする者は使える時が長くなり、行く者は足早に歩き、老人は帰って暮らしを整え、若者は帰って仕事に取りかかる。私はその三通りの帰らない者を帰らせたのです。これは郷から取り立てずにすませる道です。
解説
この章句が説くこと
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