管子 / 輕重丁
公曰:「然則無可以為有乎?貧可以為富乎?」管子對曰:「物之生未有形而王霸立其功焉。是故以人求人,則人重矣。以數求物,則物重矣。」公曰:「此若言何謂也?」管子對曰:「舉國而一則無貲,舉國而十則有百。然則吾將以徐疾御之,若左之授右,若右之授左,是以外内不踡,終身無咎。王霸之不求於人,而求之終始,四時之髙下,令之徐疾而已矣。源泉有竭,鬼神有歇。守物之終始,身不竭,此謂源究。」
新字:公曰:「然則無可以為有乎?貧可以為富乎?」管子対曰:「物之生未有形而王覇立其功焉。是故以人求人,則人重矣。以数求物,則物重矣。」公曰:「此若言何謂也?」管子対曰:「舉国而一則無貲,舉国而十則有百。然則吾将以徐疾御之,若左之授右,若右之授左,是以外内不踡,終身無咎。王覇之不求於人,而求之終始,四時之高下,令之徐疾而已矣。源泉有竭,鬼神有歇。守物之終始,身不竭,此謂源究。」
書き下し
公曰く、「然らば則ち無きは以て有りと為すべきか。貧しきは以て富めりと為すべきか」と。管子對えて曰く、「物の生ずるや未だ形有らずして、王霸は其の功を立つ。是の故に人を以て人を求むれば、則ち人重し。數を以て物を求むれば、則ち物重し」と。公曰く、「此の若き言は何の謂いぞや」と。管子對えて曰く、「國を舉げて一とすれば則ち貲無く、國を舉げて十とすれば則ち百有り。然らば則ち吾れ將に徐疾を以て之を御せんとす、左の右に授くるが若く、右の左に授くるが若し、是を以て外内踡まらず、身を終うるまで咎無し。王霸の人に求めずして、之を終始に求むるは、四時の髙下、令の徐疾のみ。源泉に竭くる有り、鬼神に歇む有り。物の終始を守れば、身竭きず、此れを源究と謂う」と。
現代語訳
桓公が言った。では無いものを有ることにできるのか。貧しいものを富ませることができるのか。管子が答えた。物が生まれてまだ形にならないうちに、王者や覇者はその功を立てます。だから人によって人を求めれば人が重くなり、数によって物を求めれば物が重くなる。桓公が言った。その言葉はどういう意味か。管子が答えた。国じゅうを挙げて一とすれば蓄えはなく、国じゅうを挙げて十とすれば百がある。だから私は緩急によってこれを操ります。左手が右手に渡すように、右手が左手に渡すように。だから外も内も縮こまらず、生涯咎めがない。王者や覇者が人に求めず、始めと終わりに求めるのは、四季の高い安いと、令の緩急だけです。泉にも涸れるときがあり、鬼神にも休むときがある。物の始めと終わりを押さえていれば、その身は尽きません。これを源を究めるといいます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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葉隠・聞書第一鉄山(てつざん)、老後に申し候は、「取手は相撲には違い、一旦(いったん)下になりても、後に勝ちさえすれば済む事と心得罷(まか)り在り。近年存じ当たり候は、一旦下になりて居る時、若(も)し誰(だれ)ぞ取りさかえ候わば負けになるべし。始めに勝つが始終の勝ちなり。」と申され候由。
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『長短経』是非〔是に曰く〕項梁曰く「先ず起こる者は人を制服し、後に起こる者は人に制せらる」と。軍志に曰く「人に先んずれば人の心を奪う有り」と。〔非に曰く〕史佚に言える有りて曰く「禍を始むる無かれ」と。又た曰く「禍を始むる者は死す」と。語に曰く「禍の始めと為らず、福の先と為らず」と。
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戦国策・或謂公仲或るひと公仲に謂いて曰く、「今一舉にして以て主に忠にし、國に便にし、身に利する可き有り、願わくは公の之を行わんことを。今天下散じて秦に事うれば、則ち韓最も輕んぜられん。天下合して秦を離るれば、則ち韓最も弱からん。合離の相續けば、則ち韓最も先に危うからん。此れ君國長民の大患なり。今公韓を以て先に秦に合すれば、天下之に隨わん、是れ韓天下を以て秦に事うるなり、秦の韓を德とすること厚し。韓天下と與に秦に朝すれども、獨り厚く德を取れば、公の之を行うの計、是れ其の主に於けるや至忠なり。天下秦に合せず、秦令すれども聽かざれば、秦必ず兵を起こして服せざるを誅せん。秦久しく天下と怨みを結び難を構え、兵決せず、韓士民を息めて以て其の亹を待たば、公の之を行うの計、是れ其の國に於けるや、大便なり。昔者周佼西周を以て秦に善くして、梗陽に封ぜられ、周啟東周を以て秦に善くして、平原に封ぜらる。今公韓を以て秦に善くすれば、韓の兩周に重きこと計る無く、秦の機を爭うや、周の時より萬なり。今公韓を以て天下に先んじて秦に合すれば、秦必ず公を以て諸侯と為し、以て明らかに天下に示さん、公の之を行うの計、是れ其の身に於けるや大利なり。願わくは公の務めを加えんことを。」

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