管子 / 輕重丁
桓公曰:「四郊之民貧,商賈之民富。寡人欲殺商賈之民,以益四郊之民,為之奈何?」管子對曰:「請以令決瓁、洛之水,通之杭、莊之間。」桓公曰:「諾。」行令末能一嵗,而郊之民殷然益富,商賈之民廓然益貧。桓公召管子而問曰:「此其故何也?」管子對曰:「決瓁、洛之水通之杭、莊之間,則屠酤之汁肥流水,則蟁虻巨雄、翡燕小鳥皆歸之,宜昬飲。此水上之樂也。賈人蓄物,而賣為讎,買為取,市末央畢,而委舎其守列,投蟁虵巨雄。新冠五尺,請挾彈懷丸游水上,彈翡燕小鳥,被於暮。故賤賣而貴買。四郊之民賣賤,何為不富哉!商賈之人何為不貧乎!」桓公曰:「善。」
新字:桓公曰:「四郊之民貧,商賈之民富。寡人欲殺商賈之民,以益四郊之民,為之奈何?」管子対曰:「請以令決瓁、洛之水,通之杭、荘之間。」桓公曰:「諾。」行令末能一歳,而郊之民殷然益富,商賈之民廓然益貧。桓公召管子而問曰:「此其故何也?」管子対曰:「決瓁、洛之水通之杭、荘之間,則屠酤之汁肥流水,則蟁虻巨雄、翡燕小鳥皆帰之,宜昏飲。此水上之楽也。賈人蓄物,而売為讎,買為取,市末央畢,而委舎其守列,投蟁虵巨雄。新冠五尺,請挟弾懐丸游水上,弾翡燕小鳥,被於暮。故賤売而貴買。四郊之民売賤,何為不富哉!商賈之人何為不貧乎!」桓公曰:「善。」
書き下し
桓公曰く、「四郊の民は貧しく、商賈の民は富む。寡人商賈の民を殺して、以て四郊の民を益さんと欲す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「請う令を以て瓁・洛の水を決し、之を杭・莊の間に通ぜん」と。桓公曰く、「諾」と。令を行うこと未だ一歳を能くせずして、郊の民は殷然として益ます富み、商賈の民は廓然として益ます貧し。桓公管子を召して問いて曰く、「此れ其の故は何ぞや」と。管子對えて曰く、「瓁・洛の水を決して之を杭・莊の間に通ずれば、則ち屠酤の汁は流水に肥え、則ち蟁虻・巨雄、翡燕・小鳥皆な之に歸し、昬飲に宜し。此れ水上の樂なり。賈人物を蓄えて、賣るを讎と為し、買うを取と為すも、市未だ央きず畢わらざるに、其の守列を委舎して、蟁虵巨雄に投ず。新たに冠する五尺は、彈を挾み丸を懷きて水上に游び、翡燕小鳥を彈ちて、暮に被る。故に賤く賣りて貴く買う。四郊の民は賣ること賤し、何為れぞ富まざらんや。商賈の人は何為れぞ貧しからざらんや」と。桓公曰く、「善し」と。
現代語訳
桓公が言った。四方の郊外の民は貧しく、商人の民は富んでいる。私は商人の民の利を削って、郊外の民を厚くしたい。どうすればよいか。管子が答えた。令を出して瓁と洛の水を導き、杭と荘のあいだに通しましょう。桓公は、よし、と言った。令を行って一年もたたないうちに、郊外の民はにわかに富み、商人の民はがらりと貧しくなった。桓公は管子を呼んで問うた。これはなぜか。管子が答えた。瓁と洛の水を導いて杭と荘のあいだに通せば、屠殺場や酒屋の汁が流れに混じって肥え、蚊や虻や大きな虫、翡翠や燕や小鳥がみなそこへ集まる。夕暮れの一杯にうってつけです。これが水辺の楽しみです。商人は物を蓄えて、売るのも買うのも商いにしているのに、市がまだ終わらないうちに持ち場を放り出して、虫や鳥のほうへ出かけてしまう。元服したばかりの若者は、はじき弓と玉を持って水辺に遊び、翡翠や小鳥を撃って日暮れまで戻らない。だから安く売って高く買うことになる。四方の郊外の民は安く売ってもらえるのだから、どうして富まないでいられましょう。商人はどうして貧しくならないでいられましょう。桓公は、よい、と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・入る所を慎み、接する所を慎む廟に入れば敬を期せずして自ら敬し、朝に入れば肅を期せずして自ら肅たり。是を以て君子は入る所を慎むなり。嚴師を見れば則ち收斂し、狎友を見れば則ち放恣なり。是を以て君子は接する所を慎むなり。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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『呻吟語』外篇・品藻・至此不為君子、真小人なり君子事に當たれば、則ち小人も皆な君子と為る。此に至りて君子と為らざるは、真の小人なり。小人事に當たれば、則ち中人も皆な小人と為る。此に至りて小人と為らざるは、真の君子なり。
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『新書』保傅秦に及びて然らず、其の俗は固より辞譲を貴ぶに非ず、上ぶ所は告訏なり。固より礼義を貴ぶに非ず、上ぶ所は刑罰なり。趙高をして胡亥に傅きて之に獄を教えしめ、習う所は人を斬劓するに非ざれば、則ち人の三族を夷するなり。故に今日位に即き、明日人を射、忠諫する者は之を誹謗と謂い、深く之が為に計る者は之を妖言と謂い、其の人を殺すを視ること艾草菅の若く然り。豈に胡亥の性悪ならんや。其の之を集め道く所以の者、理に非ざる故なり。
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。

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