管子 / 輕重乙
桓公曰:「曲防之戰,民多假貸而給上事者。寡人欲為之出賂,為之奈何?」管子對曰:「請以令令富商蓄賈百符而一馬,無有者取於公家。若此,則馬必坐長,而百倍其本矣。是公家之馬不離其牧皁,而曲防之戰賂足矣。」
新字:桓公曰:「曲防之戦,民多仮貸而給上事者。寡人欲為之出賂,為之奈何?」管子対曰:「請以令令富商蓄賈百符而一馬,無有者取於公家。若此,則馬必坐長,而百倍其本矣。是公家之馬不離其牧皁,而曲防之戦賂足矣。」
書き下し
桓公曰く、「曲防の戰、民の多く假貸して上事に給する者あり。寡人之が為に賂を出ださんと欲す、之を為すこと奈何」と。管子對えて曰く、「請う令を以て富商蓄賈をして百符にして一馬たらしめ、有る無き者は公家に取らしめん。此くの若くんば、則ち馬は必ず坐ながらに長じて、其の本に百倍せん。是れ公家の馬は其の牧皁を離れずして、曲防の戰の賂足れり」と。
現代語訳
桓公が言った。曲防の戦では、民の多くが借りをして上の用にあてた。私はそのために報いを出したい。どうすればよいか。管子が答えた。令を出して、富める商人や蓄えを持つ商人に、百符につき馬一頭を出させ、持っていない者は公の側から買わせなさい。こうすれば馬の値は座ったまま上がり、もとの百倍になります。公の馬は厩から離れないまま、曲防の戦の報いは足りるのです。
解説
戦のために借金をした民に報いを出したい。管子の答えは、富商や蓄えのある商人に百符につき馬一頭を出させ、持っていない者は公から買わせること。すると馬の値が百倍になる。公の馬は厩から一歩も出ないまま、報いの元手ができました。売らずに値を作る、という手口です。
この章句が説くこと
民の多く仮貸して上事に給する者あり富商蓄賈をして百符にして一馬たらしむ有る無き者は公家に取らしむ公家の馬は其の牧皁を離れずして曲防の戦の賂足れり報い需要
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