管子 / 山權數
桓公曰:「善。葢天下,視海内,長譽而無止,為之有道乎?」管子對曰:「有。曰䡄守其數,準平其流,動於未形,而守事已成。物一也而十,是九為用。徐疾之數,輕重之筴也。一可以為十,十可以為百,引十之半而藏四,以五操事,在君之決塞。」桓公曰:「何謂決塞?」管子曰:「君不髙仁,則國不相被。君不髙慈孝,則民簡其親而輕過。此亂之至也。則君請以國筴十分之一者,樹表置髙,鄉之孝子聘之幣,孝子兄弟衆寡不與師旅之事。樹表置髙,而髙仁慈孝,財散而輕。乗輕而守之以筴,則十之五有在上。運五如行事,如日月之終復。此長有天下之道,謂之準道。」
新字:桓公曰:「善。葢天下,視海内,長誉而無止,為之有道乎?」管子対曰:「有。曰䡄守其数,準平其流,動於未形,而守事已成。物一也而十,是九為用。徐疾之数,軽重之筴也。一可以為十,十可以為百,引十之半而蔵四,以五操事,在君之決塞。」桓公曰:「何謂決塞?」管子曰:「君不高仁,則国不相被。君不高慈孝,則民簡其親而軽過。此乱之至也。則君請以国筴十分之一者,樹表置高,郷之孝子聘之幣,孝子兄弟衆寡不与師旅之事。樹表置高,而高仁慈孝,財散而軽。乗軽而守之以筴,則十之五有在上。運五如行事,如日月之終復。此長有天下之道,謂之準道。」
書き下し
桓公曰く、「善し。天下を葢い、海内を視て、譽を長くして止まる無からんとするに、之を為すに道有りや」と。管子對えて曰く、「有り。曰く、軌もて其の數を守り、準もて其の流を平らかにし、未だ形あらざるに動きて、事の已に成れるを守る。物は一なるも而も十なり、是れ九は用と為る。徐疾の數は、輕重の筴なり。一は以て十と為すべく、十は以て百と為すべし。十の半を引きて四を藏し、五を以て事を操るは、君の決塞に在り」と。桓公曰く、「何をか決塞と謂う」と。管子曰く、「君仁を髙くせざれば、則ち國相い被らず。君慈孝を髙くせざれば、則ち民其の親を簡にして過ちを輕んず。此れ亂の至りなり。則ち君請う國筴十分の一を以て、表を樹て髙きを置き、鄉の孝子に之に聘するに幣を以てし、孝子兄弟は衆寡として師旅の事に與らざらしめん。表を樹て髙きを置きて、仁と慈孝とを髙くすれば、財散じて輕し。輕きに乗じて之を守るに筴を以てすれば、則ち十の五は上に在る有り。五を運らすこと事を行うが如く、日月の終わりて復するが如し。此れ長く天下を有つの道、之を準道と謂う」と。
現代語訳
桓公が言った。よい。天下を覆い、国じゅうを見渡し、名声を長く保って止まないようにしたい。その道はあるか。管子が答えた。あります。帳面でその数を押さえ、水準でその流れを平らにし、まだ形にならないうちに動き、すでに出来上がった事を押さえるのです。物は一でありながら十にもなる。だから九が使える分になります。速い遅いの数え方は、値の上げ下げの手立てです。一は十になり、十は百になる。十の半分を引いて四を蓄え、五で手を打つ。これは君が開くか塞ぐかの判断にかかっています。桓公が言った。開くか塞ぐかとは何か。管子が言った。君が仁を高く掲げなければ、国は互いに覆い合わない。君が慈しみと孝を高く掲げなければ、民は親をおろそかにして過ちを軽く見る。これは乱れの極みです。そこで君は、国の予算の十分の一で目印を立てて高く掲げ、郷の孝行者を礼物をもって招き、孝行者とその兄弟は人数の多い少ないにかかわらず軍役に就かせない。目印を立てて高く掲げ、仁と慈孝を高く掲げれば、財は散って値は軽くなる。その軽さに乗って手立てで押さえれば、十のうち五が上に集まる。その五を仕事のように回していけば、日と月が終わってまためぐるようになる。これが長く天下を保つ道であり、これを水準の道といいます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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『長短経』是非〔是に曰く〕項梁曰く「先ず起こる者は人を制服し、後に起こる者は人に制せらる」と。軍志に曰く「人に先んずれば人の心を奪う有り」と。〔非に曰く〕史佚に言える有りて曰く「禍を始むる無かれ」と。又た曰く「禍を始むる者は死す」と。語に曰く「禍の始めと為らず、福の先と為らず」と。
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『春秋左氏伝』文公七年 人に先んじて心を奪う秦の康公公子雍を晉に送りて、曰く、「文公の入るや、衛無し、故に呂・郤の難有り」と。乃ち多く之に徒衛を與ふ。穆嬴日に太子を抱きて以って朝に啼きて、曰く、「先君何の罪かある、其の嗣も亦た何の罪かある。適嗣を舍てて立てずして、外に君を求む、將に焉くにか此を寘かんとする」と。朝を出づれば則ち抱きて以って趙氏に適き、宣子に頓首して曰く、「先君此の子を奉じて、諸を子に屬して曰く、『此の子や才あらば、吾子の賜を受けん。不才ならば、吾唯だ子を之れ怨みん』と。今君終はると雖も、言猶ほ耳に在り、而るに之を棄つるは、若何」と。宣子と諸大夫と皆穆嬴を患ひ、且つ偪らるるを畏れ、乃ち先蔑に背きて靈公を立て、以って秦の師を禦ぐ。箕鄭居守す。趙盾中軍に將たり、先克之に佐たり。荀林父上軍に佐たり。先蔑下軍に將たり、先都之に佐たり。步招戎に御し、戎津右と為る。堇陰に及び、宣子曰く、「我若し秦を受けば、秦は則ち賓なり。受けずんば、寇なり。既に受けず、而も復た師を緩くせば、秦將に心を生ぜんとす。人に先んじて人の心を奪ふ有るは、軍の善謀なり。寇を逐ふこと逃ぐるを追ふが如くするは、軍の善政なり」と。
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。

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