管子 / 山國軌
女貢織帛,茍合于國奉者,皆置而劵之。以鄉櫎市准,曰:『上無幣,有榖以榖準幣。』環榖而應筴,國奉決。榖反準,賦䡄幣。榖廩,重有加十。謂大家委貲家曰:『上且修游,人出若干幣。』謂鄰縣曰:『有實者,皆勿左右。不贍,則且為人馬假其食。』民鄰縣四面皆櫎,榖坐長而十倍。上下令曰:『貲家假幣,皆以榖准幣,直幣而庚之。』榖為下,幣為上。百都百縣䡄據,榖坐長十倍。環榖而應假幣。國幣之九在上,一在下。幣重而萬物輕,歛萬物,應之以幣。幣在下,萬物皆在上,萬物重十倍。府官以市櫎出萬物,隆而止。國軌:布於未形,據其已成。乗令而進退,無求於民,謂之國軌。」
新字:女貢織帛,苟合于国奉者,皆置而劵之。以郷櫎市准,曰:『上無幣,有穀以穀準幣。』環穀而応筴,国奉決。穀反準,賦䡄幣。穀廩,重有加十。謂大家委貲家曰:『上且修游,人出若干幣。』謂鄰県曰:『有実者,皆勿左右。不贍,則且為人馬仮其食。』民鄰県四面皆櫎,穀坐長而十倍。上下令曰:『貲家仮幣,皆以穀准幣,直幣而庚之。』穀為下,幣為上。百都百県䡄拠,穀坐長十倍。環穀而応仮幣。国幣之九在上,一在下。幣重而万物軽,歛万物,応之以幣。幣在下,万物皆在上,万物重十倍。府官以市櫎出万物,隆而止。国軌:布於未形,拠其已成。乗令而進退,無求於民,謂之国軌。」
書き下し
女の織帛を貢するは、茍しくも國奉に合する者は、皆な置きて之を劵す。鄉の櫎市の准を以て、曰く、『上に幣無し、榖有れば榖を以て幣に準えよ』と。榖を環らして筴に應ずれば、國奉決す。榖準に反り、軌幣を賦す。榖廩まれば、重ねて十を加うる有り。大家委貲の家に謂いて曰く、『上且に游を修めんとす、人ごとに若干の幣を出だせ』と。鄰縣に謂いて曰く、『實有る者は、皆な左右する勿かれ。贍らざれば、則ち且に人馬の為に其の食を假さんとす』と。民鄰縣四面皆な櫎あれば、榖は坐ながらに長じて十倍す。上下に令して曰く、『貲家の假幣は、皆な榖を以て幣に准え、幣に直りて之を庚えよ』と。榖を下と為し、幣を上と為す。百都百縣軌據すれば、榖は坐ながらに長じて十倍す。榖を環らして假幣に應ず。國幣の九は上に在り、一は下に在り。幣重くして萬物輕ければ、萬物を歛め、之に應ずるに幣を以てす。幣下に在りて、萬物皆な上に在れば、萬物は重きこと十倍す。府官は市の櫎を以て萬物を出だし、隆きに而して止む。國軌とは、未だ形あらざるに布き、其の已に成れるに據る。令に乗じて進退し、民に求むる無き、之を國軌と謂う」と。
現代語訳
女が織った絹を納めるときは、国の入用に合うものはみな受け取って証文を出す。郷の相場と市の水準によってこう言う。上には銭がない、穀物があるなら穀物を銭に見立てよ、と。穀物をめぐらせて手立てに応じれば、国の入用は片づく。穀物が水準に戻れば、帳面どおりの銭を割り当てる。穀物が倉に入れば、重ねて十が加わる。大きな家や財を蓄えた家に言う。上はこれから巡行を行う。一人あたりこれだけの銭を出せ、と。隣の県に言う。実りのある者は、みな勝手に動かすな。足りなければ、人馬のためにその食を貸そう、と。民も隣県も四方みな相場が立てば、穀物は座ったまま十倍になる。上から下へ令して言う。財ある家に貸した銭は、みな穀物を銭に見立て、銭に見合う分で返せ、と。穀物を下に、銭を上に置く。百の都、百の県が帳面で押さえれば、穀物は座ったまま十倍になる。穀物をめぐらせて貸した銭に応じる。国の銭は九が上にあり、一が下にある。銭が重くて万物が軽ければ、万物を集め、それに銭で応じる。銭が下にあって万物がみな上にあれば、万物の値は十倍になる。役所は市の相場で万物を出し、高いところで止める。国の帳面とは、まだ形にならないうちに手を打ち、すでに出来上がったものに乗ることである。令に乗って進み退き、民に求めることがない。これを国の帳面という。
解説
この章句が説くこと
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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