管子 / 海王
鹽百升而釜。令鹽之重升加分彊,釜五十也。升加一彊,釜百也。升加二彊,釜二百也。鍾二千,十鍾二萬,百鍾二十萬,千鍾二百萬。萬乗之國,人數問口千萬也。禺筴之,商日二百萬,十日二千萬,一月六千萬。萬乗之國正九百萬也。月人三十錢之籍,為錢三千萬。今吾非籍之諸君吾子,而有二國之籍者六千萬。使君施令曰『吾將籍於諸君吾子』,則必囂號。今夫給之鹽筴,則百倍歸於上,人無以避此者,數也。「
新字:塩百升而釜。令塩之重升加分彊,釜五十也。升加一彊,釜百也。升加二彊,釜二百也。鍾二千,十鍾二万,百鍾二十万,千鍾二百万。万乗之国,人数問口千万也。禺筴之,商日二百万,十日二千万,一月六千万。万乗之国正九百万也。月人三十銭之籍,為銭三千万。今吾非籍之諸君吾子,而有二国之籍者六千万。使君施令曰『吾将籍於諸君吾子』,則必囂号。今夫給之塩筴,則百倍帰於上,人無以避此者,数也。「
書き下し
鹽は百升にして釜なり。鹽の重きをして升に分彊を加えしむれば、釜に五十なり。升に一彊を加うれば、釜に百なり。升に二彊を加うれば、釜に二百なり。鍾に二千、十鍾に二萬、百鍾に二十萬、千鍾に二百萬。萬乗の國は、人數口を問えば千萬なり。之を禺筴すれば、商は日に二百萬、十日に二千萬、一月に六千萬。萬乗の國の正は九百萬なり。月ごとに人ごとに三十錢の籍は、錢三千萬と為る。今吾れ之を諸君吾子に籍らずして、二國の籍なる者六千萬有り。君をして令を施して『吾れ將に諸君吾子に籍らんとす』と曰わしむれば、則ち必ず囂號せん。今夫れ之に鹽の筴を給すれば、則ち百倍上に歸し、人は以て此を避くる無きは、數なり。
現代語訳
塩は百升で一釜になる。塩の値を一升あたりわずかに上げれば、一釜で五十になる。一升に一を加えれば、一釜で百。一升に二を加えれば、一釜で二百。一鍾で二千、十鍾で二万、百鍾で二十万、千鍾で二百万。万乗の国は、人数を数えれば千万である。これを見積もれば、上がりは一日で二百万、十日で二千万、ひと月で六千万になる。万乗の国の正規の取り立ては九百万である。ひと月に一人あたり三十銭の人頭税なら、銭は三千万になる。いま私はそれを人々にかけないのに、二国分の取り立てにあたる六千万がある。君が令を出して、これから人々に税をかけると言えば、必ず騒ぎ立てるだろう。ところが塩の手立てを施せば、百倍が上に集まり、誰もこれを避けようがない。それが数え方である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・始計篇計利を以て聴き、乃ちこれを勢と為して、その外を佐く。
-
『宋名臣言行録』前集巻一・竇儀儼、尤も推步星厯に善し。盧多遜・楊徽之と同に諌垣に在り。二公に謂いて曰く、丁夘の歳、五星當に奎に聚まるべし。奎は文明を主る。又た魯の分に在り。此れより天下始めて太平ならん。二拾遺必ず之を見ん。老夫は預らざるなりと。乾徳の間に至り、五星果たして奎に聚まる。
-
『宋名臣言行録』後集巻九・蘇轍雇法を罷行すれば上下二等の忻躍は知る可し。唯だ是れ中等は則ち反って害と爲る。且つ畿縣の中等を以て例せば、役錢を出すこと三貫。若し十年を經れば錢三十貫と爲るのみ。今差法既に行わる。諸縣の手力は最も輕役と爲す。農民の官に在りて日に百錢を使うは最も輕費と爲す。然れども一歳の用は已に三十六貫と爲る。二年役滿つれば費七十餘貫と爲る。役を罷めて歸れば、寛鄉は三年閑なるを得、狹鄉は一歳に及ばず。此を以て之を較ぶれば則ち差役五年の費は雇役十年に倍す。
-
『管子』輕重甲桓公管子に問いて曰く、「今㦸を倳つること十萬、薪菜の靡やすること、日に十里の衍を虚しくす。㦸を頓きて一たび譟げば、而ち幣を靡やすの用、日に千金の積みを去る。之を久しくせば、且た何を以て之を待たん」と。管子對えて曰く、「粟の賈平らかにして四十なれば、則ち金の賈は四千なり。粟の賈釜に四十なれば、則ち鍾に四百なり、十鍾にして四千なり、二十鍾なる者は八千と為る。金の賈四千なれば、則ち二金は八千に中たるなり。然らば則ち一農の事、歳を終うるまで百畝を耕し、百畝の收は、二十鍾に過ぎず、一農の事は乃ち二金の財に中たるのみ。故に粟重ければ黄金輕く、黄金重ければ粟輕し、兩つの者は衡して立たず。故に善き者は粟の賈を重くし、釜に四百なれば、則ち是れ鍾に四千なり、十鍾にして四萬、二十鍾なる者は八萬。金の賈四千なれば、則ち是れ十金は四萬なり、二十金なる者は八萬と為る。故に號を發し令を出だして曰く、一農の事は、二十金の筴有りと。然らば則ち地に廣狹有るに非ず、國に貧富有るに非ざるなり、號を發し令を出だすに通じ、輕重の數に審らかなること然るなり」と。
-
『管子』參患君の卑尊する所以、國の安危する所以の者は、兵より要なるは莫し。故に暴國を誅するには必ず兵を以てし、辟民を禁ずるには必ず刑を以てす。然らば則ち兵なる者は、外は以て暴を誅し、内は以て邪を禁ず。故に兵なる者は、主を尊び國を安んずるの經なり、廢す可からざるなり。夫の世主の若きは則ち然らず。外に兵を以てせずして暴を誅せんと欲せば、則ち地必ず虧けん。内に刑を以てせずして邪を禁ぜんと欲せば、則ち國必ず亂れん。故に凡そ兵を用うるの計、三驚は一至に當たり、三至は一軍に當たり、三軍は一戰に當たる。故に一期の師は、十年の蓄積殫き、一戰の費は、累代の功盡く。今刃を交え兵を接して而る後に之を利するは、則ち戰いて自ら勝つ者なり。城を攻め邑を圍み、主人子を易えて之を食い、骸を析きて之を爨ぐは、則ち攻めて自ら拔く者なり。是を以て聖人は小さく征して大いに匡し、天の時を失わず、地の利を空しくせず、日を用うるに夢を維ぎ、其の數は計より出でず。故に計必ず先ず定まりて、兵境を出づ。計未だ定まらずして兵境を出づれば、則ち戰いて自ら敗れ、攻めて自ら毀るる者なり。
-
『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦而るに鄭康成云う、其の國に服事するの稅を以て息と爲すなり。國事に於いて園廛の田を受けて萬泉を貸る者は、則ち期に息五百を出すと。臣謂えらく、周禮に園廛は二十にして一を稅し、近郊は十に一、遠郊は二十にして三、甸・稍・縣・都は皆十に一を過ぐる無し。唯だ其の漆林の征のみ二十有五なり。鄭康成蓋し此の法を約して、官より錢を貸り、若し園廛の地を受くる者、萬錢を貸れば息五百を出すと謂う。公彦因りて解して謂う、近郊十に一の者は萬錢期に息一千を出し、遠郊二十にして三の者は萬錢期に息一千五百を出し、甸稍縣都の民は萬錢期に息二千を出すと。臣謂えらく、此くの如くんば則ち須らく漆林の戸の貸を取りて方に息二千五百を出すべきなり。然れども當時未だ必ずしも此くの如くならざるなり。