管子 / 度地
桓公曰:「請問備五害之道。」管子對曰:「請除五害之説,以水為始。請為置水官,令習水者為吏大夫、大夫佐各一人,率部校長官佐各財足,乃取水左右各一人,使為都匠水工,令之行水道。城郭、堤川、溝池,官府寺舍及州中當繕治者,給卒財足。令曰:常以秋嵗末之時,閲其民,案家人比地,定什伍口數,别男女大小。其不為用者輒免之,有錮病不可作者疾之,可省作者半事之。并行,以定甲士當被兵之數,上其都。
新字:桓公曰:「請問備五害之道。」管子対曰:「請除五害之説,以水為始。請為置水官,令習水者為吏大夫、大夫佐各一人,率部校長官佐各財足,乃取水左右各一人,使為都匠水工,令之行水道。城郭、堤川、溝池,官府寺舎及州中当繕治者,給卒財足。令曰:常以秋歳末之時,閲其民,案家人比地,定什伍口数,別男女大小。其不為用者輒免之,有錮病不可作者疾之,可省作者半事之。并行,以定甲士当被兵之数,上其都。
書き下し
桓公曰く、「請う問う、五害に備うるの道」と。管子對えて曰く、「請う五害の説を除くに、水を以て始めと為さん。請う為に水官を置き、水に習う者をして吏大夫と為し、大夫の佐各おの一人、部を率いる校長・官佐各おの財足らしめ、乃ち水の左右各おの一人を取り、使て都匠水工と為し、之をして水道を行らしめん。城郭・堤川・溝池、官府寺舍及び州中の當に繕治すべき者には、卒を給し財を足らしむ。令に曰く、常に秋歲末の時を以て、其の民を閲し、家人を案じ地を比べ、什伍口數を定め、男女大小を別つ。其の用を為さざる者は輒ち之を免じ、錮病ありて作す可からざる者は之を疾とし、作を省く可き者は之を半事とす。并せ行いて、以て甲士の當に兵を被るべきの數を定め、其の都に上る。
現代語訳
桓公が言った。五つの害に備える道を問いたい。管子が答えた。五つの害の話を除くにあたり、水から始めましょう。そのために水を掌る官を置き、水に通じた者を吏大夫とし、大夫の補佐を各一人、部を率いる校長と官の補佐にそれぞれ十分な財を与え、水の左右から各一人を取って都の匠と水工とし、水路を巡らせます。城郭、堤と川、溝と池、役所や寺や舎、州の中で修繕すべきところには、人手を出し財を足します。令にはこうあります。いつも秋の年の終わりに民を調べ、家の者を数え土地を比べ、什伍と人数を定め、男女と大小を分ける。役に立たない者はその場で免じ、持病があって働けない者は病として扱い、仕事を減らせる者は半分の務めとする。あわせて、甲を着けて兵となるべき数を定め、都に報告する。
解説
この章句が説くこと
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史記 高祖本紀地は方二千里、戟を持つもの百万、県隔すること千里の外、斉十に二を得たり。故に此れ東西の秦なり。親子弟に非ずんば、斉に王たらしむべき莫し。」と。高祖曰く、「善し。」と。黄金五百斤を賜ふ。後十余日、韓信を封じて淮陰侯と為し、其の地を分かちて二国と為す。高祖曰く将軍劉賈数(しばしば)功有りと、以て荊王と為し、淮東に王とす。弟交を楚王と為し、淮西に王とす。子肥を斉王と為し、七十余城に王とし、民の能く斉の言をなす者は皆斉に属す。乃ち功を論じ、諸列侯と符を剖きて封を行ふ。韓王信を太原に徙す。七年、匈奴韓王信を馬邑に攻む、信因りて与に謀りて太原に反す。白土の曼丘臣・王黄故の趙の将趙利を立てて王と為して以て反す、高祖自ら往きて之を撃つ。会々天寒く、士卒の指を墮す者什に二三、遂に平城に至る。匈奴我を平城に囲む、七日にして後罷め去る。樊噲をして止まりて代の地を定めしむ。兄劉仲を立てて代王と為す。二月、高祖平城より趙・雒陽を過ぎ、長安に至る。長楽宮成る、丞相已下徙りて長安に治す。八年、高祖東のかた韓王信の余反寇を東垣に撃つ。蕭丞相未央宮を営作し、東闕・北闕・前殿・武庫・太倉を立つ。高祖還り、宮闕の壮なること甚だしきを見て、怒り、蕭何に謂ひて曰く、「天下匈匈として苦戦すること数歳、成敗未だ知るべからず、是れ何ぞ宮室を治むること度を過ぐるや。」と。蕭何曰く、「天下方に未だ定まらず、故に因りて遂に宮室を就すべし。且つ夫れ天子は四海を家と為す、壮麗に非ずんば以て威を重くする無し、且つ後世をして以て加ふる有らしむる無からん。」と。高祖乃ち説ぶ。高祖の東垣に之くや、柏人を過ぐ、趙の相貫高等高祖を弑せんと謀る、高祖心動き、因りて留まらず。代王劉仲国を棄てて亡げ、自ら雒陽に帰る、廃して以て合陽侯と為す。九年、趙の相貫高等の事発覚し、三族を夷ぐ。
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孫子・勢篇故に善く戦う者は、之を勢に求めて人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。
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孫子・作戦篇其の戦を用うるや、勝つを貴ぶ。久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈し、久しく師を暴せば則ち国用足らず。
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史記 大宛列伝軍正趙始成を光禄大夫と為し、上官桀を少府と為し、李哆を上党太守と為す。軍の官吏の九卿と為る者三人、諸侯の相・郡守・二千石の者百余人、千石以下千余人。奮ひて行く者は官其の望みに過ぎ、適を以て過ちて行く者は皆其の労を絀(しりぞ)く。士卒に賜ふこと直四万金。宛を伐つこと再び反り、凡そ四歳にして罷むるを得たり。漢已に宛を伐ち、昧蔡を立てて宛王と為して去る。歳余にして、宛の貴人以為へらく、昧蔡は善く諛ひ、我が国をして屠らるるに遇はしむと。乃ち相与に昧蔡を殺し、毋寡の昆弟蟬封と曰ふを立てて宛王と為し、而して其の子を遣はして漢に入質せしむ。漢因りて使ひをして賂賜せしめ以て之を鎮撫す。而して漢、使ひ十余輩を発して宛の西の諸外国に至らしめ、奇物を求め、因りて伐宛の威徳を風覧せしむ。而して敦煌に酒泉都尉を置き、西のかた塩水に至るまで、往往にして亭有り。而して侖頭に田卒数百人有り、因りて使者を置きて田を護り粟を積ましめ、以て外国に使ひする者に給す。
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『墨子』備城門禽滑釐、子墨子に問いて曰く、聖人の言に由れば、鳯鳥出でず、諸侯、殷周の國に畔き、甲兵、方に天下に起こる。大は小を攻め、强は弱を執う。吾れ小國を守らんと欲す。之を為すこと奈何。子墨子曰く、何の攻をか之れ守らん。禽滑釐對えて曰く、今の世、常に攻むる所以の者は、臨・鉤・衝・梯・湮水・穴・□空洞・蟻傳・轒輼・軒車なり。服し問う、此の十二の者を守るは奈何。子墨子曰く、我が城池、修まり、守器、具わり、推粟、足り、上下、相い親しみ、又た四隣諸侯の救いを得ば、此れ持する所以なり。且つ守る者、善しと雖も、則ち若し以て守る可からざるなり。若し君、之を用いんに、守る者、又た必ず能くせんや。守る者、能くせずして、君、之を用いば、則ち猶お若し以て守る可からざるなり。然らば則ち守る者、必ず善くして、君、尊びて之を用い、然る後に以て守る可きなり。
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『墨子』號令謁者、令門の外に侍し、二曹を為し、門を夾みて坐す。鋪食して更たがわり、空しくすること無し。門下の謁者に一長あり。守、數しば人をして中に其の亡ずる者を視しめ、以て門尉と其の官長とを督し、及び亡ずる者、中に入りて報ぜしむ。四人、今門の内を夾み、二人、散門の外を夾みて坐す。客、見ゆれば、兵を持して前に立ち、鋪食して更たがわり、侍する者の名を上す。守室の下の髙樓なる者は、乗車若しくは騎卒の道の外より來たる者、及び城中の常に非ざる者を望み見れば、輒ち之を守に言う。守、以て城上の城門及び邑吏の來たりて其の事を告ぐる者を徇りて以て之を驗す。樓下の人、受くる者、言いて、以て守に報ず。中涓二人、散門の内を夾みて坐す。門、常に閑にして、鋪食して更たがわる。中涓に一長者あり。守宫の術衢を環らし、屯道を置き、各おの其の兩旁を垣し、髙さ丈、埤を為りて初雞足を立て置く。夾み挾みて葆の食を視る。而して扎書、得れば、必ず謹んで案視し、食を參うる者、節、法ならざれば、正しく之を請う。屯陳・垣外の術衢街は皆な樓し、髙く里中に臨む。樓に一鼓、聾竈あり。即ち物故有らば、鼓す。吏、至りて正し、夜は火を以て鼓する所を指す。城下、五十步に一厠、厠は上と圂を同じくす。罪過有りて斷ずる無かる可き者を請い、厠を杼いて之を利せしむ。

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