管子 / 小問
桓公北伐孤竹,未至卑耳之谿十里,闟然止,瞠然視,援弓將射,引而未敢發也。謂左右曰:「見是前人乎?」左右對曰:「不見也。」公曰:「事其不濟乎!寡人大惑。今者寡人見人,長尺而人物具焉,冠,右袪衣,走馬前疾,事其不濟乎!寡人大惑。豈有人若此者乎?」管仲對曰:「臣聞登山之神,有俞兒者,長尺而人物具焉,霸王之君興而登山,神見,且走馬前疾,道也。袪衣,示前有水也。右袪衣,示從右方涉也。」至卑耳之谿,有贊水者曰:「從左方涉,其深及冠;從右方涉,其深至膝。若右涉,其大濟。」桓公立拜管仲於馬前曰:「仲父之聖至若此,寡人之抵罪也久矣。」管仲對曰:「夷吾聞之,聖人先知無形,今已有形而後知之,臣非聖也,善承教也。」
新字:桓公北伐孤竹,未至卑耳之谿十里,闟然止,瞠然視,援弓将射,引而未敢発也。謂左右曰:「見是前人乎?」左右対曰:「不見也。」公曰:「事其不済乎!寡人大惑。今者寡人見人,長尺而人物具焉,冠,右袪衣,走馬前疾,事其不済乎!寡人大惑。豈有人若此者乎?」管仲対曰:「臣聞登山之神,有俞児者,長尺而人物具焉,覇王之君興而登山,神見,且走馬前疾,道也。袪衣,示前有水也。右袪衣,示従右方渉也。」至卑耳之谿,有賛水者曰:「従左方渉,其深及冠;従右方渉,其深至膝。若右渉,其大済。」桓公立拝管仲於馬前曰:「仲父之聖至若此,寡人之抵罪也久矣。」管仲対曰:「夷吾聞之,聖人先知無形,今已有形而後知之,臣非聖也,善承教也。」
書き下し
桓公北のかた孤竹を伐つ。未だ卑耳の谿に至らざること十里、闟然として止まり、瞠然として視、弓を援きて將に射んとし、引きて未だ敢えて發せざるなり。左右に謂いて曰く、「是の前人を見るか」と。左右對えて曰く、「見えざるなり」と。公曰く、「事其れ濟らざるか。寡人大いに惑う。今者寡人人を見る、長さ尺にして人物焉に具わり、冠し、右に衣を袪げ、馬前を走ること疾し。事其れ濟らざるか。寡人大いに惑う。豈に人の此くの若き者有らんや」と。管仲對えて曰く、「臣聞く、登山の神に、俞兒なる者有り、長さ尺にして人物焉に具わる。霸王の君興りて山に登れば、神見る。且つ馬前を走ること疾きは、道なり。衣を袪ぐるは、前に水有るを示すなり。右に衣を袪ぐるは、右方從り涉るを示すなり」と。卑耳の谿に至るに、水を贊くる者有りて曰く、「左方從り涉れば、其の深さ冠に及ぶ。右方從り涉れば、其の深さ膝に至る。若し右より涉らば、其れ大いに濟らん」と。桓公立ちどころに管仲を馬前に拜して曰く、「仲父の聖此くの若きに至る。寡人の罪に抵ること久しきかな」と。管仲對えて曰く、「夷吾之を聞く、聖人は先ず無形を知ると。今已に形有りて後に之を知る。臣は聖に非ざるなり、善く教を承くるなり」と。
現代語訳
桓公が北へ孤竹を討った。卑耳の谷まであと十里というところで、ふいに立ち止まり、目を見開いて見つめ、弓を引いて射ようとし、引いたまま放たずにいた。左右の者に言った。この前にいる人が見えるか。左右の者が答えた。見えません。公が言った。この事はうまくいかないのか。私はひどく惑っている。いま私は人を見た。背丈は一尺で人の形がそなわり、冠をかぶり、右の衣をまくり上げ、馬の前を速く走っていった。この事はうまくいかないのか。ひどく惑う。こんな人がいるものか。管仲が答えた。私は聞いています。山に登る神に俞児という者があり、背丈は一尺で人の形がそなわっている。覇王となる君が興って山に登れば、その神が現れる。しかも馬の前を速く走るのは、道があるという知らせです。衣をまくり上げるのは、前に水があるという知らせです。右の衣をまくり上げるのは、右のほうから渡れという知らせです。卑耳の谷に着くと、水をみちびく者がいて言った。左から渡れば深さは冠まで届き、右から渡れば深さは膝までです。右から渡れば、うまく渡れるでしょう。桓公はその場で馬の前に管仲を拝んで言った。仲父の聖はここまでのものか。私が罪に触れていたのは長かった。管仲が答えた。私はこう聞いています。聖人はまだ形のないうちに知る、と。いまはすでに形があってから知ったのです。私は聖ではありません。よく教えを受けているだけです。
解説
この章句が説くこと
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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