管子 / 勢
故賢者誠信以仁之,慈惠以愛之。端政象,不敢以先人。中靜不留,裕德無求,形於女色。其所處者,柔安靜樂,行德而不爭,以待天下之濆作也。故賢者安徐正靜,柔節先定。行於不敢,而立於不能,守弱節而堅處之。故不犯天時,不亂民功,秉時養人。先德後刑,順於天,微度人。善周者,明不能見也。善明者,周不能蔽也。大明勝大周,則民無大周也。大周勝大明,則民無大明也。大周之先,可以奮信。大明之祖,可以代天下。索而不得,求之招搖之下。獸厭走而有伏網罟,一偃一側,不然不得。大文三曽而貴義與德。大武三曽而偃武與力。
新字:故賢者誠信以仁之,慈恵以愛之。端政象,不敢以先人。中静不留,裕徳無求,形於女色。其所処者,柔安静楽,行徳而不争,以待天下之濆作也。故賢者安徐正静,柔節先定。行於不敢,而立於不能,守弱節而堅処之。故不犯天時,不乱民功,秉時養人。先徳後刑,順於天,微度人。善周者,明不能見也。善明者,周不能蔽也。大明勝大周,則民無大周也。大周勝大明,則民無大明也。大周之先,可以奮信。大明之祖,可以代天下。索而不得,求之招揺之下。獣厭走而有伏網罟,一偃一側,不然不得。大文三曽而貴義与徳。大武三曽而偃武与力。
書き下し
故に賢者は誠信にして以て之を仁し、慈惠にして以て之を愛す。政象を端しくし、敢えて以て人に先んぜず。中静にして留まらず、裕德にして求むる無く、女色に形る。其の處る所の者は、柔安静樂にして、德を行いて爭わず、以て天下の濆作するを待つ。故に賢者は安徐正静にして、柔節先ず定まる。敢えざるに行いて、能わざるに立ち、弱節を守りて堅く之に處る。故に天時を犯さず、民功を亂さず、時を秉りて人を養う。德を先にし刑を後にし、天に順いて、微かに人を度る。善く周する者は、明も見る能わざるなり。善く明なる者は、周も蔽う能わざるなり。大明大周に勝てば、則ち民に大周無きなり。大周大明に勝てば、則ち民に大明無きなり。大周の先は、以て信を奮う可し。大明の祖は、以て天下に代わる可し。索めて得ずんば、之を招搖の下に求む。獸走るに厭きて伏網罟有り、一たび偃し一たび側にす、然らずんば得ず。大文三たび曽ねて義と德とを貴ぶ。大武三たび曽ねて武と力とを偃す。
現代語訳
賢者はまことと信によってこれを仁で包み、慈しみと恵みによって愛する。政のかたちを正しくして、あえて人に先んじない。内は静かでとどこおらず、ゆとりある徳で求めることがなく、女色に対しても形を保つ。その居どころは、やわらかく安らかで静かで楽しく、徳を行って争わず、天下が湧き立って動き出すのを待つ。だから賢者は安らかにゆるやかに正しく静かで、やわらかな節がまず定まっている。あえてしないところに行い、できないところに立ち、弱い節を守って堅くそこに居る。だから天の時を犯さず、民の働きを乱さず、時を握って人を養う。徳を先にし刑を後にし、天に従って、かすかに人を測る。よく行き渡らせる者は、明るさでも見通せない。よく明るい者は、行き渡りでも覆えない。大いなる明るさが大いなる行き渡りに勝てば、民に大いなる行き渡りはない。大いなる行き渡りが大いなる明るさに勝てば、民に大いなる明るさはない。大いなる行き渡りの先では、信を振るえる。大いなる明るさのもとでは、天下に代われる。探して得られなければ、招揺の下に求める。獣は走り疲れたところに伏せた網がある。一度伏せ、一度そばに置く。そうでなければ得られない。大いなる文は三度重ねて義と徳を貴ぶ。大いなる武は三度重ねて武と力を伏せる。
解説
この章句が説くこと
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史記 魏世家昭公卒して六卿彊く、公室卑し。晋の頃公の十二年、韓宣子老し、魏献子国政を為す。晋の宗室の祁氏・羊舌氏相悪む。六卿之を誅し、尽く其の邑を取りて十県と為し、六卿各々其の子をして之が大夫と為らしむ。献子、趙簡子・中行文子・范献子と并びに晋の卿為り。其の後十四歳にして孔子魯に相たり。後四歳、趙簡子晋陽の乱を以て、韓・魏と共に范・中行氏を攻む。魏献子、魏侈を生む。魏侈、趙鞅と共に范・中行氏を攻む。魏侈の孫を魏桓子と曰ふ。韓康子・趙襄子と共に知伯を伐ち滅ぼし、其の地を分つ。桓子の孫を文侯都と曰ふ。魏の文侯の元年は、秦の霊公の元年なり。韓の武子・趙の桓子・周の威王と時を同じくす。六年、少梁に城く。十三年、子撃をして繁・龐を囲ましめ、其の民を出だす。十六年、秦を伐ち、臨晋・元裏に築く。十七年、中山を伐ち、子撃をして之を守らしめ、趙倉唐之に傅たり。子撃、文侯の師田子方に朝歌に逢ひ、車を引きて避け、下りて謁す。田子方礼を為さず。子撃因りて問ひて曰く、『富貴なる者人に驕るか。且つ貧賤なる者人に驕るか』と。子方曰く、『亦貧賤なる者人に驕るのみ。夫れ諸侯にして人に驕れば則ち其の国を失ひ、大夫にして人に驕れば則ち其の家を失ふ。貧賤なる者は、行ひ合はず、言用ひられずんば、則ち去りて楚・越に之くこと、屣を脱ぐが若く然り。奈何ぞ其れ之を同じくせんや』と。子撃懌ばずして去る。西のかた秦を攻め、鄭に至りて還り、雒陰・合陽に築く。廿二年、魏・趙・韓列して諸侯と為る。廿四年、秦我を伐ち、陽狐に至る。廿五年、子撃子罃を生む。
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