管子 / 心術上
天之道虛,地之道靜。虛則不屈,靜則不變,不變則無過,故曰不伐。潔其宫,闕其門。宫者,謂心也。心也者,智之舍也,故曰宫。潔之者,去好過也。門者,謂耳目也。耳目者,所以聞見也。「物固有形,形固有名」,此言不得過實,實不得延名。姑形以形,以形務名,督言正名,故曰聖人。不言之言,應也。應也者,以其為之人者也。執其名,務其應,所以成之,應之道也。無為之道,因也。因也者,無益無損也。以其形,因為之名,此因之術也。
新字:天之道虚,地之道静。虚則不屈,静則不変,不変則無過,故曰不伐。潔其宮,闕其門。宮者,謂心也。心也者,智之舎也,故曰宮。潔之者,去好過也。門者,謂耳目也。耳目者,所以聞見也。「物固有形,形固有名」,此言不得過実,実不得延名。姑形以形,以形務名,督言正名,故曰聖人。不言之言,応也。応也者,以其為之人者也。執其名,務其応,所以成之,応之道也。無為之道,因也。因也者,無益無損也。以其形,因為之名,此因之術也。
書き下し
天の道は虛、地の道は静なり。虛なれば則ち屈せず、静なれば則ち變ぜず、變ぜざれば則ち過ち無し、故に伐らずと曰う。其の宫を潔くし、其の門を闕く。宫なる者は、心を謂うなり。心なる者は、智の舍なり、故に宫と曰う。之を潔くする者は、好過を去るなり。門なる者は、耳目を謂うなり。耳目なる者は、聞見する所以なり。「物は固より形有り、形は固より名有り」とは、此れ名は實に過ぐるを得ず、實は名を延ぶるを得ざるを言う。姑く形を以て形とし、形を以て名を務め、言を督して名を正す、故に聖人と曰う。不言の言は、應ずるなり。應ずる者は、其の之を為す人を以てする者なり。其の名を執り、其の應を務む、成す所以は、應の道なり。無為の道は、因るなり。因る者は、益す無く損ずる無きなり。其の形を以て、因りて之が名を為す、此れ因るの術なり。
現代語訳
天の道は虚、地の道は静である。虚であれば屈せず、静であれば変わらず、変わらなければ過ちがない。だから、伐らない、という。その宮を清め、その門を開ける。宮とは心をいう。心は智の宿であるから宮という。清めるとは、好みの行き過ぎを去ることである。門とは耳と目をいう。耳と目は聞き見るためのものである。物にはもともと形があり、形にはもともと名がある、というのは、名が実を越えてはならず、実が名を引き延ばしてもならないことをいう。ひとまず形を形として受け取り、形に沿って名を務め、言葉を照らして名を正す。だから聖人という。言わずに言うとは、応じることである。応じるとは、それを行う人によることである。その名を握り、その応じ方に努める。成し遂げるもとは、応じる道である。為さない道とは、従うことである。従うとは、足しもせず減らしもしないことである。その形に沿って名をつける。これが従う術である。
解説
この章句が説くこと
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