管子 / 參患
得衆而不得其心,則與獨行者同實。兵不完利,與無操者同實。甲不堅密,與俴者同實。弩不可以及逺,與短兵同實。射而不能中,與無矢者同實。中而不能入,與無鏃者同實。將徒人,與俴者同實。短兵待逺矢,與坐而待死者同實。故凢兵有大論,必先論其器,論其士,論其將,論其主。故曰:器濫惡不利者,以其士予人也;士不可用者,以其將予人也;將不知兵者,以其主予人也;主不積務於兵者,以其國予人也。故一器成,往夫具,而天下無戰心。二器成,驚夫具,而天下無守城。三器成,游夫具,而天下無聚衆。所謂無戰心者,知戰必不勝,故曰無戰心。所謂無守城者,知城必拔,故曰無守城。所謂無聚衆者,知衆必散,故曰無聚衆。
新字:得衆而不得其心,則与独行者同実。兵不完利,与無操者同実。甲不堅密,与俴者同実。弩不可以及遠,与短兵同実。射而不能中,与無矢者同実。中而不能入,与無鏃者同実。将徒人,与俴者同実。短兵待遠矢,与坐而待死者同実。故凢兵有大論,必先論其器,論其士,論其将,論其主。故曰:器濫悪不利者,以其士予人也;士不可用者,以其将予人也;将不知兵者,以其主予人也;主不積務於兵者,以其国予人也。故一器成,往夫具,而天下無戦心。二器成,驚夫具,而天下無守城。三器成,游夫具,而天下無聚衆。所謂無戦心者,知戦必不勝,故曰無戦心。所謂無守城者,知城必抜,故曰無守城。所謂無聚衆者,知衆必散,故曰無聚衆。
書き下し
衆を得て其の心を得ざれば、則ち獨行する者と實を同じくす。兵完利ならざれば、操る無き者と實を同じくす。甲堅密ならざれば、俴なる者と實を同じくす。弩以て遠きに及ぶ可からざれば、短兵と實を同じくす。射て中つる能わざれば、矢無き者と實を同じくす。中りて入る能わざれば、鏃無き者と實を同じくす。將徒人なれば、俴なる者と實を同じくす。短兵もて遠矢を待つは、坐して死を待つ者と實を同じくす。故に凡そ兵に大論有り、必ず先ず其の器を論じ、其の士を論じ、其の將を論じ、其の主を論ず。故に曰く、器濫惡にして利ならざる者は、其の士を以て人に予うるなり。士用う可からざる者は、其の將を以て人に予うるなり。將兵を知らざる者は、其の主を以て人に予うるなり。主兵に務を積まざる者は、其の國を以て人に予うるなり。故に一器成れば、往夫具わりて、天下に戰心無し。二器成れば、驚夫具わりて、天下に守城無し。三器成れば、游夫具わりて、天下に聚衆無し。所謂戰心無しとは、戰いて必ず勝たざるを知る、故に戰心無しと曰う。所謂守城無しとは、城必ず拔かるるを知る、故に守城無しと曰う。所謂聚衆無しとは、衆必ず散ずるを知る、故に聚衆無しと曰う。
現代語訳
人数を得ても心を得なければ、一人で行くのと実質は同じである。武器が完全で鋭くなければ、何も持たないのと同じである。甲が堅く目が詰んでいなければ、薄着と同じである。弩が遠くまで届かなければ、短い武器と同じである。射て当たらなければ、矢がないのと同じである。当たっても刺さらなければ、鏃がないのと同じである。将が徒歩の兵と変わらなければ、薄着と同じである。短い武器で遠くの矢を待つのは、座って死を待つのと同じである。だから兵には大きな論があって、必ずまずその器を論じ、その士を論じ、その将を論じ、その主を論じる。だから言う、器が粗悪で鋭くないのは、その士を人に与えているのである。士が使いものにならないのは、その将を人に与えているのである。将が兵を知らないのは、その主を人に与えているのである。主が兵に務めを積まないのは、その国を人に与えているのである。だから一つの器が整えば、進む者がそろって天下に戦う気がなくなる。二つの器が整えば、驚かせる者がそろって天下に守る城がなくなる。三つの器が整えば、動き回る者がそろって天下に人を集められなくなる。戦う気がないというのは、戦っても必ず勝てないと知っているからである。守る城がないというのは、城が必ず抜かれると知っているからである。人を集められないというのは、集めても必ず散ると知っているからである。
解説
この章句が説くこと
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