管子 / 霸言
夫明王之所輕者馬與玉,其所重者政與軍。若失主不然,輕與人政,而重予人馬;輕予人軍,而重與人玉。重宫門之營,而輕四竟之守,所以削也。夫權者,神聖之所資也。獨明者,天下之利器也。獨斷者,微密之營壘也。此三者,聖人之所則也。聖人畏微,而愚人畏明。聖人之憎惡也内,愚人之憎惡也外。聖人將動必知,愚人至危易辭。聖人能輔時,不能違時,知者善謀,不如當時。精時者,日少而功多。夫謀無主則困,事無備則廢。是以聖王務具其備而慎守其時,以備待時,以時興事,時至而舉兵,絶堅而攻國,破大而制地,大本而小標,埊近而攻逺。以大牽小,以彊使弱,以衆致寡。徳利百姓,威振天下,令行諸侯而不拂。近無不服,逺無不聴。
新字:夫明王之所軽者馬与玉,其所重者政与軍。若失主不然,軽与人政,而重予人馬;軽予人軍,而重与人玉。重宮門之営,而軽四竟之守,所以削也。夫権者,神聖之所資也。独明者,天下之利器也。独断者,微密之営塁也。此三者,聖人之所則也。聖人畏微,而愚人畏明。聖人之憎悪也内,愚人之憎悪也外。聖人将動必知,愚人至危易辞。聖人能輔時,不能違時,知者善謀,不如当時。精時者,日少而功多。夫謀無主則困,事無備則廃。是以聖王務具其備而慎守其時,以備待時,以時興事,時至而舉兵,絶堅而攻国,破大而制地,大本而小標,埊近而攻遠。以大牽小,以彊使弱,以衆致寡。徳利百姓,威振天下,令行諸侯而不払。近無不服,遠無不聴。
書き下し
夫れ明王の輕んずる所の者は馬と玉となり、其の重んずる所の者は政と軍となり。失主の若きは然らず、輕がるしく人に政を與え、而して重んじて人に馬を予う。輕がるしく人に軍を予え、而して重んじて人に玉を與う。宮門の營を重んじて、四竟の守を輕んず、削らるる所以なり。夫れ權なる者は、神聖の資る所なり。獨り明らかなるは、天下の利器なり。獨り斷ずるは、微密の營壘なり。此の三つの者は、聖人の則る所なり。聖人は微を畏れて、愚人は明を畏る。聖人の憎惡するや内、愚人の憎惡するや外。聖人は將に動かんとして必ず知り、愚人は危うきに至りて辭を易う。聖人は能く時を輔く、時に違う能わず、知者は善く謀るも、時に當たるに如かず。時に精しき者は、日少なくして功多し。夫れ謀に主無ければ則ち困しみ、事に備え無ければ則ち廢る。是を以て聖王は務めて其の備えを具え、慎んで其の時を守り、備えを以て時を待ち、時を以て事を興し、時至りて兵を舉げ、堅を絕ちて國を攻め、大を破りて地を制す。本を大にして標を小にし、近きに埊りて遠きを攻む。大を以て小を牽き、彊を以て弱を使い、衆を以て寡を致す。德百姓を利し、威天下に振るい、令諸侯に行われて拂わず。近きは服せざる無く、遠きは聽かざる無し。
現代語訳
明君が軽んじるのは馬と玉であり、重んじるのは政と軍である。失格の主はそうではない。軽々しく人に政を与え、重々しく人に馬を与える。軽々しく人に軍を与え、重々しく人に玉を与える。宮門の警備を重んじて、四方の境の守りを軽んじる。だから削られるのである。権とは、神聖な者が拠るところである。独り明らかであることは、天下の利器である。独りで断ずることは、細やかで密な砦である。この三つは聖人がのっとるところである。聖人はかすかなものを畏れ、愚かな人は明らかなものを畏れる。聖人が憎むのは内に向かい、愚かな人が憎むのは外に向かう。聖人は動こうとするときすでに知っており、愚かな人は危うくなってから言い方を変える。聖人は時を助けることはできても、時に逆らうことはできない。知者はうまくはかるが、時に当たることには及ばない。時に通じている者は、日数が少なくて功が多い。はかりごとに主がなければ行き詰まり、事に備えがなければ廃れる。だから聖王は備えをそろえることに務め、慎んで時を守り、備えをもって時を待ち、時をもって事を起こし、時が至れば兵を挙げ、堅いところを断って国を攻め、大きなものを破って土地を制する。本を大きくして先を小さくし、近くを踏まえて遠くを攻める。大きさで小さいものを引き、強さで弱いものを使い、多さで少ないものを致す。徳は民を利し、威は天下に振るい、令は諸侯に行われて逆らわれない。近い者で服さない者はなく、遠い者で聴かない者はない。
解説
この章句が説くこと
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