葉隠 / 聞書第二
前神右衛門は沓草鞋作り候事上手にて候。組被官抱へ候時も、「草鞋作り候や、この細工成らざる者は足もたずなり。」と申し候。又一里外へは、一人一升の兵糧を袋に入れ、附けさせ候。それ故、淺黃木綿の袋數多作り置き候。まづ、一升宛さへあれば、その内に才覺成り申し候。太閤様名護屋御下向の時、朱鞘の御大小に、又家康公の御家中の騎馬を太閤様へ御目に懸けられ候由。軍中にて第一の用意なり。今にても第一の用意なり。足半を御懸け候て、成瀬小吉紅の沓を鞘にかけ候時、上下の數萬人の用に立ち候に付て、咎草鞋一束もあるまじく候。されば、兼て心にかけ用意ある人の用に立ち候。尤も作り習ひ候はで叶はざる儀なり。芝原、山道、川中などにて、草鞋はすべき事なり。足半よく候となり。
新字:前神右衛門は沓草鞋作り候事上手にて候。組被官抱へ候時も、「草鞋作り候や、この細工成らざる者は足もたずなり。」と申し候。又一里外へは、一人一升の兵糧を袋に入れ、附けさせ候。それ故、浅黄木綿の袋数多作り置き候。まづ、一升宛さへあれば、その内に才覚成り申し候。太閤様名護屋御下向の時、朱鞘の御大小に、又家康公の御家中の騎馬を太閤様へ御目に懸けられ候由。軍中にて第一の用意なり。今にても第一の用意なり。足半を御懸け候て、成瀬小吉紅の沓を鞘にかけ候時、上下の数万人の用に立ち候に付て、咎草鞋一束もあるまじく候。されば、兼て心にかけ用意ある人の用に立ち候。尤も作り習ひ候はで叶はざる儀なり。芝原、山道、川中などにて、草鞋はすべき事なり。足半よく候となり。
書き下し
前神右衛門(さきがみうえもん)は沓(くつ)草鞋作り候事上手にて候。組被官(くみひかん)抱え候時も、「草鞋作り候や、この細工成らざる者は足もたずなり。」と申し候。又一里外へは、一人一升の兵糧を袋に入れ、附けさせ候。それ故、浅黄木綿(あさぎもめん)の袋数多(あまた)作り置き候。まず、一升ずつさえあれば、その内に才覚(さいかく)成り申し候。太閤様(たいこうさま)名護屋(なごや)御下向(ごげこう)の時、朱鞘(しゅざや)の御大小に、又家康公の御家中の騎馬を太閤様へ御目に懸けられ候由。軍中にて第一の用意なり。今にても第一の用意なり。足半(あしなか)を御懸け候て、成瀬小吉(なるせこきち)紅(くれない)の沓を鞘にかけ候時、上下の数万人の用に立ち候に付て、咎草鞋(とがわらじ)一束もあるまじく候。されば、兼ねて心にかけ用意ある人の用に立ち候。尤(もっと)も作り習い候わで叶わざる儀なり。芝原(しばはら)、山道、川中などにて、草鞋はすべき事なり。足半よく候となり。
現代語訳
武士は草鞋を自分で作れるように習っておけ。一里より遠くへ出るときは、一人につき一升の兵糧を携えよ。前神右衛門は沓や草鞋を作るのが上手であった。組の家来を召し抱えるときも、「草鞋は作れるか。この細工ができない者はいざというとき足がもたない」と言った。また、一里を越える遠出には一人一升の兵糧を袋に入れて持たせた。そのために浅黄木綿の袋を数多く作り置いていた。まず一升ずつでも兵糧があれば、その間に工夫の才覚も生まれるのだ。太閤様が名護屋へ下られたとき、朱鞘の大小や家康公の家中の騎馬をご覧に入れたという。これらは陣中で第一の備えである。今の世でも第一の備えである。足半(かかとのない草履)を履き、成瀬小吉が紅の沓を鞘にかけたとき、上下数万人の役に立ち、粗末な草鞋一束すら足りぬということがなかった。だから、日ごろから心がけて用意している者こそ役に立つのだ。もっとも、作り習っておかなければどうにもならない。芝原、山道、川の中などでは草鞋を履くのがよい。足半もよいのである。
解説
この章句が説くこと
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