管子 / 法法
在臣期年,臣雖不忠,君不能奪也。在子期年,子雖不孝,父不能服也。故春秋之記,臣有弑其君,子有弑其父者矣。故曰:堂上逺於百里,堂下逺於千里,門廷逺於萬里。今步者一日,百里之情通矣;堂上有事,十日而君不聞,此所謂逺於百里也。步者十日,千里之情通矣;堂下有事,一月而君不聞,此所謂逺於千里也。步者百日,萬里之情通矣;門廷有事,期年而君不聞,此所謂逺於萬里也。故請入而不出謂之滅,出而不入謂之絶,入而不至謂之侵,出而道止謂之壅。滅絶侵壅之君者,非杜其門而守其户也,為政之有所不行也。故曰:令重於寳,社稷先於親戚;法重於民,威權貴於爵禄。故不為重寳輕號令,不為親戚後社稷,不為愛民枉法律,不為爵禄分威權。故曰:勢非所以予人也。
新字:在臣期年,臣雖不忠,君不能奪也。在子期年,子雖不孝,父不能服也。故春秋之記,臣有弑其君,子有弑其父者矣。故曰:堂上遠於百里,堂下遠於千里,門廷遠於万里。今歩者一日,百里之情通矣;堂上有事,十日而君不聞,此所謂遠於百里也。歩者十日,千里之情通矣;堂下有事,一月而君不聞,此所謂遠於千里也。歩者百日,万里之情通矣;門廷有事,期年而君不聞,此所謂遠於万里也。故請入而不出謂之滅,出而不入謂之絶,入而不至謂之侵,出而道止謂之壅。滅絶侵壅之君者,非杜其門而守其戸也,為政之有所不行也。故曰:令重於寳,社稷先於親戚;法重於民,威権貴於爵禄。故不為重寳軽号令,不為親戚後社稷,不為愛民枉法律,不為爵禄分威権。故曰:勢非所以予人也。
書き下し
臣に在ること期年なれば、臣忠ならずと雖も、君奪う能わざるなり。子に在ること期年なれば、子孝ならずと雖も、父服せしむる能わざるなり。故に春秋の記に、臣の其の君を弑する有り、子の其の父を弑する者有り。故に曰く、堂上は百里より遠く、堂下は千里より遠く、門廷は萬里より遠しと。今步む者一日にして、百里の情通ず。堂上に事有りて、十日にして君聞かざるは、此れ所謂百里より遠しなり。步む者十日にして、千里の情通ず。堂下に事有りて、一月にして君聞かざるは、此れ所謂千里より遠しなり。步む者百日にして、萬里の情通ず。門廷に事有りて、期年にして君聞かざるは、此れ所謂萬里より遠しなり。故に請いて入りて出でざるを之を滅と謂い、出でて入らざるを之を絕と謂い、入りて至らざるを之を侵と謂い、出でて道に止まるを之を壅と謂う。滅絕侵壅の君は、其の門を杜ぎて其の戶を守るに非ざるなり、政を為すに行われざる所有ればなり。故に曰く、令は寶より重く、社稷は親戚より先んず。法は民より重く、威權は爵禄より貴し。故に重寶の為に號令を輕んぜず、親戚の為に社稷を後にせず、愛民の為に法律を枉げず、爵禄の為に威權を分かたず。故に曰く、勢は人に予うる所以に非ざるなりと。
現代語訳
勢いが臣のもとに一年あれば、その臣が忠でなくても君は奪い返せない。子のもとに一年あれば、その子が孝でなくても父は従わせられない。だから春秋の記録には、臣が君を殺し、子が父を殺した例がある。だから言う、堂の上は百里より遠く、堂の下は千里より遠く、門の庭は万里より遠い、と。いま歩く者が一日で百里の知らせを通す。堂の上に事があって十日たっても君が聞かないなら、これが百里より遠いということである。歩く者が十日で千里の知らせを通す。堂の下に事があって一月たっても君が聞かないなら、これが千里より遠いということである。歩く者が百日で万里の知らせを通す。門の庭に事があって一年たっても君が聞かないなら、これが万里より遠いということである。だから、入って出てこないのを滅といい、出て入ってこないのを絶といい、入って至らないのを侵といい、出て途中で止まるのを壅という。滅・絶・侵・壅の君は、門をふさいで戸を守っているのではない。政を行ううえで通っていないところがあるのである。だから言う、令は宝より重く、社稷は親族より先であり、法は民より重く、威と権は爵禄より貴い、と。だから貴い宝のために号令を軽んぜず、親族のために社稷を後まわしにせず、民を愛するために法律を曲げず、爵禄のために威と権を分けない。だから言う、勢いは人に与えるものではない、と。
解説
この章句が説くこと
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