管子 / 八觀
大城不可以不完,郭周不可以外通,里域不可以横通,閭閈不可以毋闔,宫垣關閉不可以不修。故大城不完,則亂賊之人謀。郭周外通,則姦遁踰越者作。里域横通,則攘奪竊盜者不止。閭閈無闔,外内交通,則男女無别。宫垣不備,關閉不固,雖有良貨,不能守也。故形勢不得為非,則姦邪之人慤愿;禁罰威嚴,則簡慢之人整齊;憲令著明,則蠻夷之人不敢犯;賞慶信必,則有功者勸;教訓習俗者衆,則君民化變而不自知也。是故明君在上位,刑省罰寡,非可刑而不刑,非可罪而不罪也。明君者閉其門,塞其塗,弇其迹,使民母由接於淫非之地,是以民之道正行善也若性然,故罪罰寡而民以治矣。
新字:大城不可以不完,郭周不可以外通,里域不可以横通,閭閈不可以毋闔,宮垣関閉不可以不修。故大城不完,則乱賊之人謀。郭周外通,則姦遁踰越者作。里域横通,則攘奪窃盗者不止。閭閈無闔,外内交通,則男女無別。宮垣不備,関閉不固,雖有良貨,不能守也。故形勢不得為非,則姦邪之人慤愿;禁罰威厳,則簡慢之人整斉;憲令著明,則蠻夷之人不敢犯;賞慶信必,則有功者勧;教訓習俗者衆,則君民化変而不自知也。是故明君在上位,刑省罰寡,非可刑而不刑,非可罪而不罪也。明君者閉其門,塞其塗,弇其迹,使民母由接於淫非之地,是以民之道正行善也若性然,故罪罰寡而民以治矣。
書き下し
大城は以て完からざる可からず、郭周は以て外に通ずる可からず、里域は以て横に通ずる可からず、閭閈は以て闔無かる可からず、宮垣關閉は以て修めざる可からず。故に大城完からざれば、則ち亂賊の人謀る。郭周外に通ずれば、則ち姦遁踰越する者作る。里域横に通ずれば、則ち攘奪竊盜する者止まず。閭閈に闔無く、外内交々通ずれば、則ち男女別無し。宮垣備わらず、關閉固からざれば、良貨有りと雖も、守る能わざるなり。故に形勢非を為すを得ざれば、則ち姦邪の人も慤愿なり。禁罰威嚴なれば、則ち簡慢の人も整齊なり。憲令著明なれば、則ち蠻夷の人も敢えて犯さず。賞慶信必なれば、則ち功有る者勸む。教訓習俗する者衆ければ、則ち君民化變して自ら知らざるなり。是の故に明君上位に在れば、刑省かれ罰寡なし、刑す可くして刑せざるに非ず、罪す可くして罪せざるに非ざるなり。明君なる者は其の門を閉ざし、其の塗を塞ぎ、其の迹を弇い、民をして淫非の地に接するに由る無からしむ。是を以て民の道正しく善を行うこと性の若く然り、故に罪罰寡なくして民以て治まる。
現代語訳
大城は完全でなければならず、外囲いは外に通じていてはならず、里の区画は横に通じていてはならず、門にはとびらがなければならず、宮の垣や関門は修めておかなければならない。だから大城が完全でなければ乱賊の者がたくらむ。外囲いが外に通じていれば、こっそり越える者が現れる。里の区画が横に通じていれば、奪い盗む者が止まない。門にとびらがなく内外が行き来すれば、男女の別がなくなる。宮の垣が備わらず関門が固くなければ、良い財貨があっても守れない。だから、形と勢いのうえで悪事ができないようになっていれば、よこしまな人も実直になる。禁と罰が厳かであれば、いいかげんな人も整う。法令がはっきりしていれば、外の民でもあえて犯さない。賞が必ず信じられれば、功のある者は励む。教えと習わしを身につける者が多ければ、君も民も自分では気づかないうちに変わる。だから明君が上にあれば、刑は減り罰は少ない。刑すべきなのに刑さないのでも、罪すべきなのに罪さないのでもない。明君はその門を閉ざし、その道をふさぎ、その跡を覆って、民が悪事の場に近づく道そのものをなくす。だから民が正しい道を歩み善を行うのが、生まれつきのようになる。だから罪も罰も少なくて民は治まる。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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