管子 / 樞言
凡國之亡也,以其長者也。人之自失也,以其所長者也。故善游者死于梁池善射者死于中野。命屬于食,治屬于事,無善事而有善治者,自古及今未嘗之有。也衆勝寡,疾勝徐,勇勝怯,智勝愚,善勝惡,有義勝無義,有天道勝無天道。凡此七勝者貴衆,用之終身者衆矣。人主好佚欲、亡其身、失其國者,殆。其德不足以懐其民者,殆。明其刑而賤其士者,殆。諸侯假之威,久而不知極已者,殆。身彌老,不知敬其適子者,殆。蓄藏積陳朽腐,不以與人者,殆。凡人之名三:有治也者,有恥也者,有事也者。事之名二:正之,察之。五者而天下治矣。名正則治,名倚則亂,無名則死,故先王貴名。
新字:凡国之亡也,以其長者也。人之自失也,以其所長者也。故善游者死于梁池善射者死于中野。命属于食,治属于事,無善事而有善治者,自古及今未嘗之有。也衆勝寡,疾勝徐,勇勝怯,智勝愚,善勝悪,有義勝無義,有天道勝無天道。凡此七勝者貴衆,用之終身者衆矣。人主好佚欲、亡其身、失其国者,殆。其徳不足以懐其民者,殆。明其刑而賤其士者,殆。諸侯仮之威,久而不知極已者,殆。身弥老,不知敬其適子者,殆。蓄蔵積陳朽腐,不以与人者,殆。凡人之名三:有治也者,有恥也者,有事也者。事之名二:正之,察之。五者而天下治矣。名正則治,名倚則乱,無名則死,故先王貴名。
書き下し
凡そ國の亡ぶるや、其の長ずる者を以てなり。人の自ら失うや、其の長ずる所の者を以てなり。故に善く游ぐ者は梁池に死し、善く射る者は中野に死す。命は食に屬し、治は事に屬す、善事無くして善治有る者は、古より今に及ぶまで未だ嘗て之れ有らざるなり。衆は寡に勝ち、疾きは徐きに勝ち、勇は怯に勝ち、智は愚に勝ち、善は惡に勝ち、義有るは義無きに勝ち、天道有るは天道無きに勝つ。凡そ此の七勝なる者は衆きを貴ぶ、之を用うること終身なる者衆し。人主の佚欲を好み、其の身を亡ぼし、其の國を失う者は、殆うし。其の德以て其の民を懷くるに足らざる者は、殆うし。其の刑を明らかにして其の士を賤しむ者は、殆うし。諸侯之に威を假し、久しくして極まるを知らざる者は、殆うし。身彌々老いて、其の適子を敬うを知らざる者は、殆うし。蓄藏積陳ねて朽腐し、以て人に與えざる者は、殆うし。凡そ人の名は三つ。治むる有る者、恥ずる有る者、事有る者なり。事の名は二つ。之を正し、之を察す。五つの者にして天下治まる。名正しければ則ち治まり、名倚れば則ち亂れ、名無ければ則ち死す、故に先王は名を貴ぶ。
現代語訳
国が亡ぶのは、その得意なものによる。人が自分を失うのも、その得意なものによる。だから泳ぎのうまい者は堤や池で死に、射るのがうまい者は野で死ぬ。命は食にかかり、治は事にかかる。よい事がなくてよい治まりがあったためしは、昔から今まで一度もない。多いものは少ないものに勝ち、速いものは遅いものに勝ち、勇は怯に勝ち、智は愚に勝ち、善は悪に勝ち、義があるものは義がないものに勝ち、天道があるものは天道がないものに勝つ。この七つの勝ちは数が多いことを貴ぶ。生涯これを用いる者は多い。君主で安逸と欲を好み、その身を亡ぼし国を失う者は危うい。その徳が民を懐かせるに足りない者は危うい。刑を明らかにしながら士を賤しむ者は危うい。諸侯に威を貸したまま、長く続けて限度を知らない者は危うい。身がいよいよ老いてなお、跡継ぎを敬うことを知らない者は危うい。蓄えを積み重ねて朽ちさせ、人に与えない者は危うい。人の名は三つある。治めることのある者、恥じることのある者、事のある者である。事の名は二つ。正すことと、見きわめること。この五つで天下は治まる。名が正しければ治まり、名が傾けば乱れ、名がなければ死ぬ。だから先王は名を貴んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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