管子 / 五輔
曰:民知務矣,而未知權,然後考三度以動之。所謂三度者何?曰:上度之天祥,下度之地宜,中度之人順,此所謂三度。故曰:天時不祥,則有水旱;地道不宜,則有飢饉;人道不順,則有禍亂。此三者之來也,政召之。曰:審時以舉事,以事動民,以民動國,以國動天下,天下動然後功名可成也。故民必知權然後舉錯得,舉錯得則民和輯,民和輯則功名立矣。故曰:權不可不度也。
新字:曰:民知務矣,而未知権,然後考三度以動之。所謂三度者何?曰:上度之天祥,下度之地宜,中度之人順,此所謂三度。故曰:天時不祥,則有水旱;地道不宜,則有飢饉;人道不順,則有禍乱。此三者之来也,政召之。曰:審時以舉事,以事動民,以民動国,以国動天下,天下動然後功名可成也。故民必知権然後舉錯得,舉錯得則民和輯,民和輯則功名立矣。故曰:権不可不度也。
書き下し
曰く、民は務を知れり、而して未だ權を知らず、然る後に三度を考えて以て之を動かす。所謂三度とは何ぞや。曰く、上は之を天祥に度り、下は之を地宜に度り、中は之を人順に度る、此れ所謂三度なり。故に曰く、天の時祥ならざれば、則ち水旱有り。地の道宜しからざれば、則ち飢饉有り。人の道順ならざれば、則ち禍亂有り。此の三つの者の來たるや、政之を召くなり。曰く、時を審らかにして以て事を舉げ、事を以て民を動かし、民を以て國を動かし、國を以て天下を動かす。天下動きて然る後に功名成る可きなり。故に民必ず權を知りて然る後に舉錯得たり。舉錯得れば則ち民和輯し、民和輯すれば則ち功名立つ。故に曰く、權は度らざる可からざるなり。
現代語訳
言う、民は務めを知った、しかしまだ権を知らない。そこで三つの度をはかって動かす。三つの度とは何か。上には天のしるしをはかり、下には土地の適性をはかり、中には人の従い方をはかる。これが三つの度である。だから言う、天の時がよくなければ水や旱がある。地の道が適さなければ飢饉がある。人の道が順でなければ禍乱がある。この三つが来るのは、政がそれを招くのである。言う、時をはっきりさせて事を挙げ、事によって民を動かし、民によって国を動かし、国によって天下を動かす。天下が動いてはじめて功名は成る。だから民は必ず権を知って、そのうえで挙措がかなう。挙措がかなえば民は和し集まり、民が和し集まれば功名が立つ。だから言う、権ははからないわけにいかない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』外篇・治道・官は精を貴び多きを貴ばず官は精を貴びて多きを貴ばず。權は一を貴びて分かるるを貴ばず。大都の內、法令行はれざるは、則ち官多く權分かるるの故なり。故に萬事俱に馳る。
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『翁問答』下卷之末大賢以下の人は気質の累ありて明徳くらく、権をおこなふこと能はざる故に、聖人天下のために礼法を定たまふ、此礼法もすなはち権の道なれ共、すでに法に定ぬれば迹ありて変通の活溌なきによつて、権といはずして礼法といふなり、此意をしらず徒に礼法の迹を真実の道なりと心得て、聖人立法の本意権道の妙をさとらずして、礼法になずみて専にとりおこなひ、時中の神理にそむくをば、非礼の礼となづけて君子のせざる所なり、此非礼の礼をも真実の礼なりと迷ひたる人、聖賢の行迹礼法にちがひたるを見てうたがひをなし、礼と権は各別なりなど、得心するなり、此権の字の精義をしらざれば、心学に志ありて致知力行をはげますと云とも、必欣真落法の地にまよふべし、大学の能慮は此権を詳に分別する工夫なり、能得は此権を得心受用するものなり、法ありて法にあらず、在ゆるところなくして在ざる所なく、定ところなくして定らざる処なき権字の理味を、よくよく体認すべし。
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『講孟余話』告子下 首章然れども本文立言の意は、礼と云ふは歯決なきを問はず、尽心上、「放飯流歠して、歯決なきを問ふ、是れを之れ務めを知らずと謂ふ」。又曲礼に「濡肉は歯決し、乾肉は歯決せず」純の倹に従ふ、論語子罕、「麻冕は礼なり。今や純は倹なり、吾は衆に従はん」の類なること固よりなり。唯語病あるのみ。但し親迎の義に至りては追考を要すべし。礼中にも軽重あり、食色皆各軽重あり、物皆然り。是を以て一本の義を喩るべし。滕文公上末章、「天の物を生ずるや、之をして一本ならしむ、而るに夷子は二本なる故なり」。君臣父子の五倫も、遇ふ所随ふ所に依りて軽重あり。此れの軽き者を以て彼の重き者に比せば、彼固より重し。彼の軽き者を以て此れの重き者に比せば、此れ固より重し。故に軽き者常に軽きことなし、時有りて重し。重き者常に重きことなし、時有りて軽し。是れ亦権の義、時中の義なり。合せ考ふべし。
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『翁問答』下卷之末体充曰、子曰く、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず、与に道に適くべし、未だ与に立つべからず、与に立つべし、未だ与に権るべからず、此聖謨を以て見れば、権は初学の取さたすべきことにあらずと存候はいかゞ。師の曰、此聖謨は学者の面々のいたる所の位をよしと画して上達の志あつからざるをいましめ引たてたまふ主意なり、初学の者権を取さたすべからずとのたまふにはあらず、可与共の学は、即ち此権の道をまなぶ学なり、可与適の道も、即ち此権の道なり、可与立の道も即ち此権の道なり権の外に道なし、道の外に権なし、権の外に学なく学の外に権なし、但その受用に生熟、大小、精粗の差別あるのみ、しかる故に此聖謨の主意は、工夫成就の次第をあかして至極無上の神道を指出して、学者の準的を示たまふものなり、孟子性善を道ひ、言へば必ず堯舜を称す、公明儀曰く、文王は我が師なり、周公豈我を欺かんや、かくの如きの賢範をよく体験して明に弁知べし、若この準的をしらざるときは心学の徒なりとも、欣真落法の地に執滞して、非礼の礼多あるべし。
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『翁問答』下卷之末体充曰、淳于髡曰く、男女授受するに親らせざるは礼か、孟子曰く、礼なり、曰く、嫂溺るれば則ち之を援くるに手を以てせんか、曰く、嫂溺るるを援けざるは是れ豺狼なり、男女授受するに親らせざるは礼なり、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは権なり、曰く、今天下溺る、夫子の援けざるは何ぞや、曰く、天下溺るれば之を援くるに道を以てし、嫂溺るれば之を援くるに手を以てす、子は手もて天下を援けんと欲するか、孟子の此章を考見れば、経と権と差別あるべきと存候はいかゞ。師の曰、漢儒の経に反して道に合ふを権と為すの説は、此の章を見誤たる者なり此章の礼は礼法を指ていへり、礼法は天下万民日用通行のために平生急務の事ばかりを定たまふものなれば、非常の変事には礼法なし、道は大虚に充満して身をはなれざるものなれば、もとより平常日用の道も礼法なり、また非常の変に処する義も道なり権は此道の総名なる故に、礼法も本権なれ共事の模様定りて迹あるによつて権と名けがたき故に法と名づけたり、
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『呻吟語』外篇・治道・聖人は權を以て道を行ふ權の在る所は、利の歸する所なり。聖人は權を以て道を行ひ、小人は權を以て私を濟す。

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