管子 / 形勢
山髙而不崩,則祈羊至矣。淵深而不涸,則沈玉極矣。天不變其常,地不易其則,春秋冬夏不更其節,古今一也。蛟龍得水而神可立也,虎豹得幽而威可載也,風雨無鄉而怨怒不及也。貴有以行令,賤有以忘卑,夀夭貧富無徒歸也。銜命者,君之尊也;受辭者,名之運也。
新字:山高而不崩,則祈羊至矣。淵深而不涸,則沈玉極矣。天不変其常,地不易其則,春秋冬夏不更其節,古今一也。蛟竜得水而神可立也,虎豹得幽而威可載也,風雨無郷而怨怒不及也。貴有以行令,賤有以忘卑,寿夭貧富無徒帰也。銜命者,君之尊也;受辞者,名之運也。
書き下し
山高くして崩れざれば、則ち祈羊至る。淵深くして涸れざれば、則ち沈玉極まる。天は其の常を變えず、地は其の則を易えず、春秋冬夏は其の節を更めず、古今一なり。蛟龍水を得て神立つ可きなり、虎豹幽を得て威載す可きなり、風雨は鄉無くして怨怒及ばざるなり。貴きには以て令を行う有り、賤しきには以て卑しきを忘るる有り、寿夭貧富は徒らに歸する無きなり。命を銜む者は、君の尊きなり。辭を受くる者は、名の運ばるるなり。
現代語訳
山が高くて崩れなければ、羊を供えて祈る者がやって来る。淵が深くて涸れなければ、玉を沈めて祈る者が絶えない。天はその常を変えず、地はその法則を改めず、春夏秋冬はその節目をずらさない。昔も今も同じである。蛟龍は水を得てはじめて霊威が立ち、虎豹は奥深い場所を得てはじめて威が備わる。風雨には決まった里がないから、怨みや怒りが向かってこない。貴い者には命令を行う根拠があり、賤しい者にも卑しさを忘れる道がある。長命短命も貧富も、いわれなしにそこへ行き着くのではない。命令をふくんで伝える者があるのは君が尊いからであり、その言葉を受け取る者があるのは名が世に運ばれているからである。
解説
この章句が説くこと
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳・蔡の間に戹するは、上下の交はり無ければなり。」
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『肝要工夫録』・里と友を選ぶされば、人たるもの、よき里に居り、善友を擇みて、之と親めば、芝蘭の室に入るが如く、久しくして、その香きを知らず、また風俗あしき所に居り、惡人と交れば、鮑魚の肆に入るが如く、久しくして、その臭きことを知らざるが如くなれば、まづ里をゑらび、友を擇んで、常に古人の書をよみ、天より受け得し本の性善に立かへらむことこそ肝要の工夫なるべし、これを以て、古人の敎を和らげ、我人日々の行に手近きことどもを思ひはかりて、善道に導くの一助ともならむかと、拙き辭をかへりみず、その一端を記す。且つ古しへより、忠孝義烈の事を擧げむには、棟木にも滿つべし。その他、善行美事の如きも、記さむと欲すれども、是またかへつて見るにわづらはしかるべきことなれば、ただその要を述ぶるのみ。この書、誤れる事の多かるべければ、見る人、かならずさみすることなくして、改竄を加へて、予が恥かしめを補ひ給へかし。是れもとよりの願なれば、偏へに敎を希ふ而已。
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