格言聯璧 / 悖凶類・自ら其の惡を伐る者
清欲人知,人情之常。今吾見有貪欲人知者矣,朵其頤,垂其涎,惟恐人誤視為靈龜而不飽其欲也。 善不自伐,盛德之事,今吾見有自伐其惡者矣;張其牙,露其抓,惟恐人不識為猛虎而不畏其威也。
新字:清欲人知,人情之常。今吾見有貪欲人知者矣,朶其頤,垂其涎,惟恐人誤視為霊亀而不飽其欲也。 善不自伐,盛徳之事,今吾見有自伐其悪者矣;張其牙,露其抓,惟恐人不識為猛虎而不畏其威也。
書き下し
清は人の知るを欲す、人情の常なり。今吾貪りて人の知るを欲する者有るを見る、其の頤を朵らし、其の涎を垂らし、惟だ人の誤りて視て靈龜と為し、其の欲を飽かしめざるを恐るるなり。 善は自ら伐らず、盛德の事なり。今吾自ら其の惡を伐る者有るを見る。其の牙を張り、其の抓を露はし、惟だ人の猛虎と為すを識らずして、其の威を畏れざるを恐るるなり。
現代語訳
清廉さを人に知ってほしいと思うのは、人情の常です。ところが今、私は貪欲さを人に知ってほしがる者を見かけます。あごを動かし、よだれを垂らして、人が誤って自分を霊亀(食べずに生きるという無欲の亀)と見なし、欲を満たしてくれないのではないかと、そればかりを恐れているのです。 善を自ら誇らないのは、盛んな徳のしるしです。ところが今、私は自分の悪を誇る者を見かけます。牙をむき、爪をあらわにして、人が自分を猛虎と気づかず、その威を恐れないのではないかと、そればかりを恐れているのです。
解説
清廉を知られたい、善を誇らないという人の常を示したうえで、その裏返しの醜さを痛烈に描いた風刺の対句です。朵頤は『易経』頤の卦の「爾の靈龜を舍てて我を觀て頤を朵らす」に基づく語で、あごを動かして食べ物を欲しがるさまを言います。霊亀は気を吸って食べずに生きるとされた亀で、無欲のたとえです。貪欲を隠すどころか見せびらかす者と、悪を恥じるどころか威嚇の道具にする者を、よだれを垂らす姿と牙をむく虎の姿で描き分けています。恥を知る心が失われると、人は欲や悪をむしろ誇るようになるという観察です。強さや取り分を声高に示す振る舞いを見たとき、その裏にあるものを見抜く目を養ってくれます。
この章句が説くこと
廉恥貪欲謙虚善悪風刺
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