格言聯璧 / 悖凶類・善を為して人の知るを欲す
為惡畏人知,惡中冀有轉念。 為善欲人知,喜處即是惡根。 謂鬼神之無知,不應祈福。 謂鬼神之有知,不當為非。 勢可為惡而不為,即是善。
新字:為悪畏人知,悪中冀有転念。 為善欲人知,喜処即是悪根。 謂鬼神之無知,不応祈福。 謂鬼神之有知,不当為非。 勢可為悪而不為,即是善。
書き下し
惡を為して人の知るを畏るるは、惡中に轉念有るを冀ふべし。 善を為して人の知るを欲するは、喜ぶ處即ち是れ惡根なり。 鬼神の知る無しと謂はば、應に福を祈るべからず。 鬼神の知る有りと謂はば、當に非を為すべからず。 勢惡を為すべくして為さざるは、即ち是れ善なり。
現代語訳
悪を行って人に知られるのを恐れるのは、悪の中にもまだ思い直す望みがあるということです。 善を行って人に知られたいと思うのは、その喜ぶところがすでに悪の根なのです。 鬼神には知る力がないと言うなら、福を祈るべきではありません。 鬼神には知る力があると言うなら、悪いことをするべきではありません。 悪を行える力がありながら行わないのは、それがそのまま善です。
解説
最初の対句は、悪と善を行うときの心の動きを鋭く観察しています。悪事を恥じる気持ちが残っている人にはまだ救いがあり、善行を人に知られたがる人には、すでに悪の根が生じているというのです。善悪を行いの外見ではなく、その奥の心で見ているところが要です。続く対句は、鬼神を信じないなら福を祈るな、信じるなら悪をするな、と都合のよい信じ方を突いています。困ったときだけ神頼みをする人への皮肉です。最後の行は次の単位の「力可行善而不行」と対になり、悪を行える立場でしないことが善だと言います。人に見せるための善に、つい喜びを感じていないか、立ち止まらせてくれる一則です。
この章句が説くこと
慎独謙虚鬼神善悪修身
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