格言聯璧 / 惠吉類・謙卦は六爻皆吉
謙卦六爻皆吉,恕字終身可行。 作本色人,說根心話,幹近情事。 一點慈愛,不但是積德種子,亦是積福根苗。 試看那有不慈愛底聖賢?
新字:謙卦六爻皆吉,恕字終身可行。 作本色人,説根心話,幹近情事。 一点慈愛,不但是積徳種子,亦是積福根苗。 試看那有不慈愛底聖賢?
書き下し
謙卦は六爻皆吉なり、恕の字は終身行ふべし。 本色の人と作り、根心の話を說き、近情の事を幹す。 一點の慈愛は、但だに是れ積德の種子なるのみならず、亦是れ積福の根苗なり。 試みに看よ、那ぞ慈愛ならざる底の聖賢有らんや。
現代語訳
『易経』の謙の卦は六つの爻がすべて吉であり、恕の一字は一生行うことができます。 飾らない人となり、心の底からの言葉を話し、人情に近いことを行いなさい。 少しの慈しみの心は、徳を積む種であるばかりでなく、福を積む根や苗でもあります。 試しに見てごらんなさい。慈しみのない聖賢などどこにいるでしょうか。
解説
一行目は、謙と恕という二つの徳を古典から引いています。『易経』の謙卦は六爻がすべて吉とされることで知られ、恕は『論語』で孔子が一生行うべき一言として挙げた字です。二行目は、飾らず、本音で話し、人情にかなうことをせよと、生き方を三つの句でまとめています。後の二行は次の単位の「一念容忍」と対になり、慈愛が徳と福の両方の種になると説きます。聖賢に慈愛のない人はいないという結びは、偉さの中身を問い直させます。謙虚さも思いやりも、特別な場面ではなく、毎日の言葉づかいに表れるものです。
この章句が説くこと
謙虚恕慈愛積徳誠
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