格言聯璧 / 悖凶類・人に大巧有れば必ず大拙有り
位尊身危,財多命殆。 機者禍福所由伏,人生於機,即死於機也。 巧者鬼神所最忌,人有大巧,必有大拙也。 出薄言,做薄事,存薄心,種種皆薄,未免災及其身。
書き下し
位尊ければ身危く、財多ければ命殆し。 機は禍福の由りて伏する所なり、人は機に生ずれば、即ち機に死するなり。 巧は鬼神の最も忌む所なり、人に大巧有れば、必ず大拙有るなり。 薄言を出し、薄事を做し、薄心を存し、種種皆薄なれば、未だ災の其の身に及ぶを免れず。
現代語訳
地位が高ければ身が危うく、財産が多ければ命が危うくなります。 機略は禍と福がひそむところです。人は機略によって生きれば、機略によって死ぬのです。 巧みさは鬼神が最も嫌うものです。人に大きな巧みさがあれば、必ず大きなつたなさがあります。 薄情な言葉を口にし、薄情な事を行い、薄情な心を抱き、あれこれすべてが薄情であれば、災いがその身に及ぶことを免れません。
解説
一行目は、高い地位と多い財には、それだけ危うさが伴うと説きます。続く対句は、機と巧という二つの賢しさを戒めます。機略で生きる者は機略で倒れ、大きな巧みさを持つ者は、どこかで大きなつまずきをするというのです。大巧と大拙の組み合わせは『老子』の「大巧は拙なるが若し」を思わせますが、ここでは巧みさの報いとして使われています。四行目は次の単位の「設陰謀」と対になり、言・事・心の三つの薄さを重ね、それが災いを招くと言います。駆け引きの上手さで乗り切ってきた人ほど、同じ駆け引きで足をすくわれることがあります。小手先より、厚い心で人に向き合うことの大切さを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
謙虚誠報い禍福処世
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