格言聯璧 / 從政類・人の生命を以て己の喜怒を佐けず
虎豹在前,坑阱在後,百般呼號,獄犴何異於此?可使無辜坐之乎! 官雖至尊,決不可以人之生命,佐己之喜怒。 官雖至卑,決不可以己之名節,
新字:虎豹在前,坑阱在後,百般呼号,獄犴何異於此?可使無辜坐之乎! 官雖至尊,決不可以人之生命,佐己之喜怒。 官雖至卑,決不可以己之名節,
書き下し
虎豹前に在り、坑阱後に在りて、百般呼號す、獄犴何ぞ此に異ならん。無辜をして之に坐せしむべけんや。 官至尊なりと雖も、決して人の生命を以て、己の喜怒を佐くべからず。 官至卑なりと雖も、決して己の名節を以て、
現代語訳
前には虎や豹、後ろには落とし穴があり、あらゆる声で泣き叫ぶ。牢獄はこれとどこが違うでしょうか。罪のない人をそこに座らせてよいものでしょうか。 官職がどれほど尊くても、決して人の命を、自分の喜怒を満たす道具にしてはいけません。 官職がどれほど低くても、決して自分の名誉と節操を、(他人の喜怒を満たすために使ってはいけません。結びの句は次の単位にあります。)
解説
一行目は前の単位に続く牢獄の描写で、前に猛獣、後ろに落とし穴という逃げ場のない恐怖にたとえています。獄犴は牢獄のことです。続く二行は官位の高い者と低い者を対にした句で、この単位では後半の句が途中で切れ、結びの「佐人之喜怒」は次の単位の頭にあります。高官は人の命を自分の感情のために使ってはならず、下級の役人は自分の名節を上の者の感情のために売ってはならない、という趣旨です。上に立つ者の横暴と、下にいる者の迎合を同時に戒めているところに深みがあります。上司の機嫌に合わせて筋を曲げたくなる場面は、今の職場にもいくらでもあるでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
治政刑罰名節迎合公正
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