格言聯璧 / 齊家類・一孝婦を得るは一孝子に勝る
公姑得一孝婦,勝如得一孝子。 婦之孝,不如導孫以為孝,孫能娛親者也。 祖父得一孝孫,又增一輩孝子。 父母所欲為者,我繼述之。 父母所重念者,我親厚之。
新字:公姑得一孝婦,勝如得一孝子。 婦之孝,不如導孫以為孝,孫能娯親者也。 祖父得一孝孫,又增一輩孝子。 父母所欲為者,我継述之。 父母所重念者,我親厚之。
書き下し
公姑一孝婦を得るは、一孝子を得るに勝るが如し。 婦の孝は、孫を導きて以て孝を為さしむるに如かず、孫は能く親を娛しましむる者なり。 祖父一孝孫を得れば、又一輩の孝子を增す。 父母の為さんと欲する所の者は、我之を繼述す。 父母の重く念ふ所の者は、我之に親厚す。
現代語訳
舅姑(夫の父母)にとって、孝行な嫁を一人得ることは、孝行な息子を一人得るのにまさります。 嫁の孝行は、孫を導いて孝行させることに及びません。孫こそが祖父母を楽しませることのできる者だからです。 祖父母が孝行な孫を一人得れば、さらに一代分の孝行な子が増えることになります。 父母がしようと望んでいたことは、私が受け継いでやり遂げます。 父母が大切に思っていた人には、私が親しく手厚く接します。
解説
前の単位の「子の孝は、婦を率ゐて以て孝を為すに如かず」を受けて、孝行の輪が子から嫁へ、嫁から孫へと広がっていく様子を描いた一連の句です。嫁の孝は息子の孝にまさり、さらに孫を導けば、祖父母を楽しませる者が一代増えると、家族全体で親を支える姿を示します。後半の二句は、親が亡くなった後の孝を説きます。繼述は『中庸』の「善く人の志を繼ぎ、善く人の事を述ぶ」に基づく語で、親の志を継いで成し遂げることです。親が大切にした人を自分も大切にするのも、孝の一つの形です。親や先代の遺した仕事や付き合いを引き継ぐとき、その意味を考え直すきっかけになる言葉です。
この章句が説くこと
孝行斉家家訓継承子孫
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