格言聯璧 / 接物類・惠みは大に在らず厄に當るに在り
功成名立之士,當觀其末路。 蹤多歷亂,定有必不得已之私。 言到支離,才是無可奈何之處。 惠不在大,在乎當厄。 怨不在多,在乎傷心。
新字:功成名立之士,当観其末路。 蹤多歴乱,定有必不得已之私。 言到支離,才是無可奈何之処。 恵不在大,在乎当厄。 怨不在多,在乎傷心。
書き下し
功成り名立つの士は、當に其の末路を觀るべし。 蹤多く歷亂するは、定めて必ず已むを得ざるの私有り。 言支離に到るは、才かに是れ奈何ともする無きの處なり。 惠みは大に在らず、厄に當るに在り。 怨みは多きに在らず、心を傷るに在り。
現代語訳
功を成し名を立てた人については、その晩年の身の処し方を見るべきです。 足取りがひどく乱れているのは、きっとやむを得ない個人的な事情があるのです。 言葉がしどろもどろになるのは、まさにどうしようもない所に来ているのです。 恵みは大きさにあるのではなく、困っているときに当たることにあります。 恨みは多さにあるのではなく、心を傷つけることにあります。
解説
一句目は前の単位の「窮した人は初心を見よ」と対になり、成功した人は末路を見よと言います。菜根譚にもほぼ同じ対句があり、人の評価は一時の姿ではなく、始めと終わりで見よという教えです。次の二句は、人の乱れた行動やしどろもどろの言葉の裏に、やむを得ない事情があることを思いやれと説きます。表に出た姿だけで人を責めるなという、接物類に一貫する考えです。最後の対句は、恩と怨の本質を突いています。恵みは量より時機で、困ったときの小さな助けが大きな恩になり、恨みは数より深さで、心を傷つける一言が長く残ります。人を助けるなら相手が本当に困っているときに、言葉は相手の心を傷つけないように選びたいものです。
この章句が説くこと
恩義恕接物思いやり時機
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