格言聯璧 / 持躬類・失意の人に對して得意の事を談ずる莫れ
對失意人,莫談得意事! 處得意日,莫忘失意時。 貧賤是苦境,能善處者自樂。 富貴是樂境,不善處者更苦。 恩裏由來生害,故快意時須早回頭。
新字:対失意人,莫談得意事! 処得意日,莫忘失意時。 貧賤是苦境,能善処者自楽。 富貴是楽境,不善処者更苦。 恩裏由来生害,故快意時須早回頭。
書き下し
失意の人に對しては、得意の事を談ずる莫れ。 得意の日に處りては、失意の時を忘るる莫れ。 貧賤は是れ苦境なるも、能く善く處る者は自ら樂しむ。 富貴は是れ樂境なるも、善く處らざる者は更に苦しむ。 恩裏に由來害を生ず、故に快意の時は須らく早く頭を回らすべし。
現代語訳
うまくいかない人に向かって、自分のうまくいった話をしてはなりません。 うまくいっている日にも、うまくいかなかった時のことを忘れてはなりません。 貧しく低い身分は苦しい境遇ですが、うまく身を処せる人はおのずと楽しめます。 富んで高い身分は楽しい境遇ですが、うまく身を処せない人はかえって苦しみます。 恩寵のなかから昔から害が生じるものです。だから思い通りにいっているときこそ、早めに振り返らなければなりません。
解説
得意と失意をめぐる心得を並べた聯です。最初の対句は、失意の人の前で得意話をしない思いやりと、自分が得意のときに失意の日を忘れない慎みを並べます。続く対句は、貧賤も善く処れば楽しく、富貴も善く処らなければ苦しいと言い、境遇より処し方が幸不幸を決めると示します。最後の句は菜根譚にもほぼ同じ句があり、恩寵の中から害が生じるから、快意のときこそ早く引き返せと戒め、次の単位の「敗後に或は反って成功す」と対になっています。調子の良いときこそ次の落とし穴に備えるという、息の長い処世の知恵です。
この章句が説くこと
得意失意持躬処世思いやり
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「人皆人に忍びざるの心有り。先王、人に忍びざるの心有り、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行わば、天下を治むること、之を掌上に運らす可し。人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、今、人乍(たちまち)ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隱の心有り。交わりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。譽をᰰ黨朋友に要むる所以に非ざるなり。其の聲を惡んで然るに非ざるなり。是に由りて之を觀れば、惻隱の心無きは、人に非ざるなり。羞惡の心無きは、人に非ざるなり。辭讓の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端有るや、猶ほ其の四體有るがごときなり。是の四端有りて、而して自ら能わざると謂う者は、自ら賊う者なり。其の君能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり。凡そ我に四端有る者は、皆擴して之を充たすことを知る。火の始めて然え、泉の始めて達するが若し。苟くも能く之を充たさば、以て四海を保んずるに足る。苟くも之を充たさざれば、以て父母に事うるに足らず。」
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