神皇正統記 / 巻五 第八十七代 後嵯峨院
これを思もいれず、あるにまかせて欲をほしきまゝにし、私をさきとして公をわするゝ心あるならば、世に久きことわりもはべらじ。いはんや国柄をとる仁にあたり、兵権をあづかる人として、正路をふまざらんにおきて、いかで其運をまたくすべき。泰時が昔を思には、よくまことある所有けむかし。子孫はさ程の心あらじなれど、かたくしける法のまゝにおこなひければ、およばずながら世をもかさねしにこそ。異朝のことは乱逆にして紀なきためしおほければ、例とするにたらず。我国は神明の誓いちじるくして、上下の分さだまれり。しかも善悪の報あきらかに、困果のことわりむなしからず。かつはとほからぬことゞもなれば、近代の得失をみて将来の鑒誡とせらるべきなり。抑此天皇正路にかへりて、日嗣をうけ給し、さきだちてさま〴〵の奇瑞ありき。又土御門院阿波国にて告文をかゝせまして、石清水の八幡宮に啓白せさせ給ける、其御本懐すゑとほりにしかば、さま〴〵の御願をはたされしもあはれなる御こと也。
書き下し
これを思もいれず、あるにまかせて欲をほしきまゝにし、私をさきとして公をわするゝ心あるならば、世に久きことわりもはべらじ。いはんや国柄をとる仁にあたり、兵権をあづかる人として、正路をふまざらんにおきて、いかで其運をまたくすべき。泰時が昔を思には、よくまことある所有けむかし。子孫はさ程の心あらじなれど、かたくしける法のまゝにおこなひければ、およばずながら世をもかさねしにこそ。異朝のことは乱逆にして紀なきためしおほければ、例とするにたらず。我国は神明の誓いちじるくして、上下の分さだまれり。しかも善悪の報あきらかに、困果のことわりむなしからず。かつはとほからぬことゞもなれば、近代の得失をみて将来の鑑誡とせらるべきなり。抑此天皇正路にかへりて、日嗣をうけ給し、さきだちてさまざまの奇瑞ありき。又土御門院阿波国にて告文をかゝせまして、石清水の八幡宮に啓白せさせ給ける、其御本懐すゑとほりにしかば、さまざまの御願をはたされしもあはれなる御こと也。
現代語訳
このことを思い入れもせず、あるに任せて欲を思うままにし、私を先にして公を忘れる心があるならば、世に長く続く道理もないであろう。まして国の権柄をとる任にあたり、兵権を預かる人として、正しい道を踏まないならば、どうしてその運を全うできようか。泰時の昔を思うと、よほどまことのあるところがあったのだろう。子孫はそれほどの心はなかったであろうが、泰時が固く定めた法のままに行ったので、及ばないながらも世を重ねたのである。異国のことは乱れと逆らいばかりで綱紀のない例が多いので、手本とするに足りない。わが国は神々の誓いがあらたかで、上下の分が定まっている。しかも善悪の報いが明らかで、因果の道理はむなしくない。そのうえ遠くない時代のことでもあるから、近代の得失を見て将来の戒めとされるべきである。そもそもこの天皇(後嵯峨院)が正しい道に返って皇位を受けられるにさきだって、さまざまな吉兆があった。また土御門院が阿波国で願文を書かせて、石清水八幡宮に申し上げられた、その御本願が末まで通ったので、さまざまな御願を果たされたのも心打たれることである。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻五 第八十七代 後嵯峨院大方泰時心たゞしく政すなほにして、人をはぐゝみ物におごらず、公家の御ことをおもくし、本所のわづらひをとゞめしかば、風の前に塵なくして、天の下すなはちしづまりき。かくて年代をかさねしこと、ひとへに泰時が力とぞ申伝ぬる。陪臣として久しく権をとることは和漢両朝に先例なし。其主たりし頼朝すら二世をばすぎず。義時いかなる果報にか、はからざる家業をはじめて、兵馬の権をとれりし、ためしまれなることにや。されどことなる才徳はきこえず。又大名の下にほこる心や有けん、中二とせばかりぞありし、身まかりしかど、彼泰時あひつぎて徳政をさきとし、法式をかたくす。己が分をはかるのみならず、親族ならびにあらゆる武士までもいましめて、高官位をのぞむ者なかりき。其政次第のままにおとろへ、つひに滅ぬるは天命のをはるすがたなり。七代までたもてるこそ彼が余薫なれば、恨ところなしと云つべし。
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『神皇正統記』巻五 第八十七代 後嵯峨院凡保元・平治よりこのかたのみだりがはしさに、頼朝と云人もなく、泰時と云者なからましかば、日本国の人民いかゞなりなまし。此いはれをよくしらぬ人は、ゆゑもなく、皇威のおとろへ、武備のかちにけるとおもへるはあやまりなり。所々に申はべることなれど、天日嗣は御譲にまかせ、正統にかへらせ給にとりて、用意あるべきことの侍也。神は人をやすくするを本誓とす。天下の万民は皆神物なり。君は尊くましませど、一人をたのしましめ万民をくるしむる事は、天もゆるさず神もさいはひせぬいはれなれば、政の可否にしたがひて御運の通塞あるべしとぞおぼえ侍る。まして人臣としては、君をたふとび民をあはれみ、天にせくゝまり地にぬきあしゝ、日月のてらすをあふぎても心の黒して光にあたらざらんことをおぢ、雨露のほどこすをみても身のただしからずしてめぐみにもれんことをかへりみるべし。朝夕に長田狭田の稲のたねをくふも皇恩也。昼夜に生井栄井の水のながれを飲も神徳也。
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『神皇正統記』巻五 第八十七代 後嵯峨院第八十七代、第四十六世、後嵯峨院。諱は邦仁、土御門院第二の御子。御母贈皇太后源通子、贈左大臣通宗の女、内大臣通親の孫女なり。承久のみだれありし時、二歳にならせ給けり。通親の大臣の四男、大納言通方は父の院にも御傍親、贈皇后にも御ゆかりなりしかば、収養し申てかくしおきたてまつりき。十八の御年にや、大納言さへ世をはやくせしかば、いとゞ無頼になり給て、御祖母承明門院になむうつろひましましける。二十二歳の御年、春正月十日四条院俄に晏駕、皇胤もなし。連枝のみこもましまさず。順徳院ぞいまだ佐渡におはしましけるが、御子達もあまた都にとゞまり給し、入道摂政道家のおとゞ、彼御方の外家におはせしかば、此御流を天位につけ奉り、もとのまゝに世をしらんとおもはれけるにや、そのおもぶきを仰つかはしけれど、鎌倉の義時が子、泰時はからひ申てこの君をすゑ奉りぬ。誠に天命也、正理也。土御門院御兄にて御心ばへもおだしく、孝行もふかくきこえさせ給しかば、天照太神の冥慮に代てはからひ申けるもことわり也。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇近ごろ伏見の御時、源為頼と云をのこ内裏にまゐりて自害したりしが、かねて諸社に奉る矢にも、その夜射ける矢にも、大政大臣源為頼とかきたりし、いとをかしきことに申めれど、人の心のみだりになり行すがたはこれにておしはかるべし。義時などはいかほどもあがるべくやありけん。されど正四位下右京権大夫にてやみぬ。まして泰時が世になりては子孫の末をかけてよくおきておきければにや。滅びしまでもつひに高官にのぼらず、上下の礼節をみだらず。近く維貞といひしもの吹挙によりて修理大夫になりしをだにいかがと申ける。まことに其の身もやがてうせ侍りにき。父祖のおきてにたがふは家門をうしなふしるしなり。人は昔をわするゝものなれど、天は道をうしなはざるなるべし。さらばなど天は正理のまゝにおこなはれぬと云こと、うたがはしけれど、人の善悪はみづからの果報也。世のやすからざるは時の災難なり。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇弘仁の御宇より真言・天台のさかりになることを聊しるし侍につきて、大方の宗々伝来のおもむきを載たり。極てあやまりおほく侍らん。但君としてはいづれの宗をも大概しろしめして捨られざらんことぞ国家攘災の御はかりことなるべき。菩薩・大士もつかさどる宗あり。我朝の神明もとりわき擁護し給ふ教あり。
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