神皇正統記 / 巻四 第五十二代 嵯峨天皇
比叡山には顕密ならびて紹隆す。殊に天子本命の道場をたてゝ御願を祈る地なり。又根本中堂を止観院と云ふ。法華の経文につき、天台の宗義により、かた〴〵鎮護の深義ありとぞ。東寺は桓武遷都の初、皇城の鎮のためにこれをたてらる。弘仁の御時、弘法に給てながく真言の寺とす。諸宗の雑住をゆるさゞる地也。此宗を神通乗と云ふ。如来果上の法門にして諸教にこえたる極秘密とおもへり。就中我国は神代よりの縁起、此宗の所説に符合せり。このゆゑにや唐朝に流布せしはしばらくのことにて、則日本にとゞまりぬ。又相応の宗なりと云もことわりにや。大唐の内道場に准じて宮中に真言院をたつ。大師奏聞して毎年正月この所にて御修法あり。国土安穏の祈祷、稼穡豊饒の秘法也。又十八日の観音供、晦日の御念誦等も宗によりて深意あるべし。三流の真言いづれと云べきならねど、真言をもて諸宗の第一とすることもむねと東寺によれり。延喜の御宇に綱所の印鎰を東寺の一阿闍梨にあづけらる。仍法務のことを知行して諸宗の一座たり。
書き下し
比叡山には顕密ならびて紹隆す。殊に天子本命の道場をたてゝ御願を祈る地なり。又根本中堂を止観院と云ふ。法華の経文につき、天台の宗義により、かたがた鎮護の深義ありとぞ。東寺は桓武遷都の初、皇城の鎮のためにこれをたてらる。弘仁の御時、弘法に給てながく真言の寺とす。諸宗の雑住をゆるさゞる地也。此宗を神通乗と云ふ。如来果上の法門にして諸教にこえたる極秘密とおもへり。就中我国は神代よりの縁起、此宗の所説に符合せり。このゆゑにや唐朝に流布せしはしばらくのことにて、則日本にとゞまりぬ。又相応の宗なりと云もことわりにや。大唐の内道場に准じて宮中に真言院をたつ。大師奏聞して毎年正月この所にて御修法あり。国土安穏の祈祷、稼穡豊饒の秘法也。又十八日の観音供、晦日の御念誦等も宗によりて深意あるべし。三流の真言いづれと云べきならねど、真言をもて諸宗の第一とすることもむねと東寺によれり。延喜の御宇に綱所の印鎰を東寺の一阿闍梨にあづけらる。仍法務のことを知行して諸宗の一座たり。
現代語訳
比叡山では顕教と密教が並んで受け継がれ栄えている。とりわけ天子の本命(生まれ年にあたる守り)の道場を立てて、御願を祈る地である。また根本中堂を止観院という。法華経の経文により、天台の教義によって、いずれにしても国家鎮護の深い意味があるという。東寺は桓武天皇の遷都の初めに、都の鎮めのために建てられた。弘仁の御代に弘法大師に賜って、長く真言の寺とした。他の宗の僧が混じって住むことを許さない地である。この宗を神通乗という。如来が悟りに至ったその境地の教えであって、諸教を超えた極めて秘密の教えだと考えている。とりわけわが国は、神代からの由来がこの宗の説くところと符合している。そのためであろうか、唐の朝廷で広まったのはしばらくのことで、そのまま日本にとどまった。また(この国に)相応した宗であるというのも道理であろう。大唐の内道場にならって宮中に真言院を建てた。大師が奏上して、毎年正月にこの所で御修法が行われる。国土安穏の祈祷であり、五穀豊穣の秘法である。また十八日の観音供、晦日の御念誦なども、宗の教えによって深い意味があるのだろう。三つの流れの真言のいずれが勝ると言うべきではないが、真言を諸宗の第一とすることも、主として東寺によっている。延喜の御代に、僧綱所の印と鍵を東寺の一の阿闍梨に預けられた。そこで法務のことをつかさどって、諸宗の首座となった。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇弘仁の御宇より真言・天台のさかりになることを聊しるし侍につきて、大方の宗々伝来のおもむきを載たり。極てあやまりおほく侍らん。但君としてはいづれの宗をも大概しろしめして捨られざらんことぞ国家攘災の御はかりことなるべき。菩薩・大士もつかさどる宗あり。我朝の神明もとりわき擁護し給ふ教あり。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇心みに此鎰にてあけらるゝにとゞこほらず。一山こぞりて渇仰しけり。仍一宗の奥義のこる所なく伝られたりとぞ。其後慈覚・智証両大師又入唐して天台・真言をきはめならひて、叡山にひろめられしかば、彼門風いよいよさかりになりて天下に流布せり。唐国みだれしより経教おほくうせぬ。道邃より四代にあたれる義寂と云人まで、たゞ観心を伝へて宗義をあきらむることたえにけるにや。呉越国の忠懿王此宗のおとろへぬることをなげきて、使者十人をさして、我朝におくり、教典をもとめしむ。ことごとくうつしをはりてかへりぬ。義寂これを見あきらめて、更に此宗を再興す。もろこしには五代の中、後唐の末ざまなりければ、我朝には朱雀天皇の御代にやあたりけん。日本よりかへしわたしたる宗なれば、此国の天台宗はかへりて本となるなり。凡伝教彼宗の秘密を伝へられたることもことごとく一宗の論疏をうつし、国にかへれることも異朝の書にみえたり。弘法は母懐胎の始、夢に天竺の僧来りて宿をかり給けりとぞ。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇山門・寺門は天台をむねとするゆゑにや、顕密をかねたれど宗の長をも天台座主と云めり。此天皇諸宗を並て興ぜさせ給けり。中にも伝教・弘法御帰依ふかゝりき。伝教始て円頓の戒壇をたつべきよし奏せられしを、南京の諸宗表を上てあらそひ申ししかど、つひに戒壇の建立をゆるされ、本朝四け所の戒場となる。弘法はことさら師資の御約ありければ、おもくし給けるとぞ。此両宗の外、華厳・三論は東大寺にこれをひろめらる。彼華厳は唐の杜順和尚よりさかりになれりしを、日本の朗弁僧正伝へて東大寺に興隆す。此寺は則此宗によりて建立せられけるにや、大華厳寺と云名あり。三論は東晋の同時に後秦と云国に、羅什三蔵と云師来て、此宗をひらきて世に伝へたり。孝徳の御世に高麗の僧恵潅来朝して伝へ始ける。しからば最前流布の教にや。其後道慈律師請来して大安寺にひろめき。今は華厳とならびて東大寺にあり。法相は興福寺にあり。唐玄弉三蔵天竺より伝へて国にひろめらる。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇宝亀五年甲寅六月十五日誕生。この日唐の大暦九年六月十五日にあたれり。不空三蔵入滅す。仍かの後身と申也。かつは恵果和尚の告にも「我と汝と久契約あり。誓て密蔵を弘。」とあるもそのゆゑにや。渡唐の時も或は五筆の芸をほどこし、さまざまの神異ありしかば、唐の主、順宗皇帝ことに仰信じ給き。彼恵果和尚六人の附法あり。剣南の惟上・河北の義円、新羅の恵日・訶陵の弁弘、青龍の義明・日本の空海。義明は唐朝におきて潅頂の師たるべかりしが世をはやくす。弘法は六人の中に瀉瓶たり。しかれば、真言の宗には正統なりといふべきにや。これ又異朝の書にみえたる也。伝教も、不空の弟子順暁にあひて真言を伝へられしかど、在唐いくばくなかりしかば、ふかく学せられざりしにや。帰朝の後、弘法にもとぶらはれけり。又いまこの流たえにけり。慈覚・智証は恵果の弟子義操・法潤ときこえしが弟子法全にあひて伝へらる。凡本朝流布の宗、今は七宗也。此中にも真言・天台の二宗は祖師の意巧専鎮護国家のためと心ざゝれけるにや。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇日本の定恵和尚彼国にわたり玄弉の弟子たりしかど、帰朝の後世をはやくす。今の法相は玄昉僧正と云人入唐して泗州の智周大師にあひてこれを伝へて流布しけるとぞ。春日の神もことさら此宗を擁護し給なるべし。此三宗に天台をくはへて四家の大乗と云ふ。倶舎・成実なむど云は小乗也。道慈律師おなじく伝て流布せられけれども、依学の宗にて、別に一宗を立ことなし。我国大乗純熟の地なればにや、小乗を習人なき也。又律宗は大小に通ずる也。鑑真和尚来朝してひろめられしより東大寺および下野の薬師寺・筑紫の観音寺に戒壇をたてゝ、此戒をうけぬものは僧籍につらならぬ事になりにき。中古より以来、其名ばかりにて戒体をまぼることたえにけるを、南都の思円上人等章疏を見あきらめて戒師となる。北京には我禅上人入宋して彼土の律法をうけ伝てこれをひろむ。南北の律再興して彼宗に入輩は威儀を具することふるきがごとし。禅宗は仏心宗とも云ふ。仏の教外別伝の宗なりとぞ。
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『神皇正統記』巻四 第五十二代 嵯峨天皇第五十二代、第二十九世、嵯峨天皇は桓武第二の子、平城同母の弟也。太弟に立給へりしが、己丑年即位、庚寅に改元。此天皇幼年より聡明にして読書を好、諸芸を習給。又謙譲の大度もましましけり。桓武帝鍾愛無双の御子になんおはしける。儲君にゐ給けるも父のみかど継体のために顧命しましましけるにこそ。格式なども此御時よりえらびはじめられにき。又深仏法をあがめ給。先世に美濃国神野と云所にたふとき僧ありけり。橘太后の先世にねむごろに給仕しけるを感じて相共に再誕ありとぞ。御諱を神野と申けるも自然にかなへり。伝教弘法両大師唐より伝へ給し天台・真言の両宗も、この御時よりひろまり侍ける。此両師直也人におはせず。伝教入唐以前より比叡山をひらきて練行せられけり。今の根本中堂の地をひかれけるに、八の舌ある鎰をもとめいでゝ唐までもたれたり。天台山にのぼりて智者大師六代の正統道邃和尚に謁して、その宗をならはれしに、彼山に智者帰寂より以来鎰をうしなひてひらかざる一蔵ありき。
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