人物志 / 八觀
人情皆欲求勝,故悅人之謙
書き下し
人情は皆勝つを求めんと欲す、故に人の謙なるを悦ぶ。
現代語訳
人の心は誰もが勝ちたいと願うものである。だからこそ、人が謙虚であることを喜ぶ。
解説
誰しも心のどこかで勝ちたいという思いを抱いている。人物志は、だからこそ人は謙虚な人物を好ましく感じるのだと説く。謙虚さは相手の勝ちたいという欲求を脅かさないため、周囲に安心感を与えるのである。自分が評価されたいと願う場面ほど、実力を誇示するより一歩引いた姿勢の方が好感を集めることが多いのは、この人情の機微による。謙虚さは弱さではなく、人の心の仕組みを踏まえた立ち居振る舞いである。
この章句が説くこと
謙虚人情好感
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