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人物志 / 八觀

言未發而怒色先見者,意憤溢也;言將發而怒氣送之者,彊所不然也。凡此之類,徵見於外,不可奄違,雖欲違之,精色不從,感愕以明,雖變可知。是故,觀其感變,而常度之情可知。何謂觀其至質,以知其名?凡偏材之性,二至以上,則至質相發,而令名生矣。是故,骨直氣清,則休名生焉;氣清力勁,則烈名生焉;勁智精理,則能名生焉;智直彊愨,則任名生焉。集于端質,則令德濟焉;加之學,則文理灼焉。是故,觀其所至之多少,而異名之所生可知也。何謂觀其所由,以辨依似?夫純訐性違,不能公正;依訐似直,以訐訐善;純宕似流,不能通道;依宕似通,行傲過節。故曰:直者亦訐,訐者亦訐,其訐則同,其所以為訐則異。通者亦宕,宕者亦宕,其所以為宕則異。然則,何以別之?直而能溫者,德也;直而好訐者,偏也;訐而不直者,依也;道而能節者,通也;通而時過者,偏也;宕而不節者,依也;

新字:言未発而怒色先見者,意憤溢也;言将発而怒気送之者,彊所不然也。凡此之類,徴見於外,不可奄違,雖欲違之,精色不従,感愕以明,雖変可知。是故,観其感変,而常度之情可知。何謂観其至質,以知其名?凡偏材之性,二至以上,則至質相発,而令名生矣。是故,骨直気清,則休名生焉;気清力勁,則烈名生焉;勁智精理,則能名生焉;智直彊愨,則任名生焉。集于端質,則令徳済焉;加之学,則文理灼焉。是故,観其所至之多少,而異名之所生可知也。何謂観其所由,以弁依似?夫純訐性違,不能公正;依訐似直,以訐訐善;純宕似流,不能通道;依宕似通,行傲過節。故曰:直者亦訐,訐者亦訐,其訐則同,其所以為訐則異。通者亦宕,宕者亦宕,其所以為宕則異。然則,何以別之?直而能温者,徳也;直而好訐者,偏也;訐而不直者,依也;道而能節者,通也;通而時過者,偏也;宕而不節者,依也;

書き下し

言未だ発せずして怒色先づ見はるる者は、意憤溢すればなり。言将に発せんとして怒気之を送る者は、然らざる所を彊ふればなり。凡そ此の類は、徴外に見はれ、奄違すべからず。之に違はんと欲すと雖も、精色従はず、感愕以て明らかなれば、変ずと雖も知るべし。是の故に、其の感変を観て、常度の情知るべし。何をか其の至質を観て、以て其の名を知ると謂ふ。凡そ偏材の性、二至以上なれば、則ち至質相発して、令名生ず。是の故に、骨直く気清ければ、則ち休名生じ、気清く力勁ければ、則ち烈名生じ、勁智にして理に精しければ、則ち能名生じ、智直にして彊愨なれば、則ち任名生ず。端質に集まれば、則ち令徳済り、之に学を加ふれば、則ち文理灼かなり。是の故に、其の至る所の多少を観て、異名の生ずる所知るべきなり。何をか其の所由を観て、以て依似を弁ずと謂ふ。夫れ純訐は性違ひて、公正なること能はず。依訐は直に似て、訐を以て善を訐く。純宕は流に似て、道に通ずること能はず。依宕は通に似て、行ひ傲りて節を過ぐ。故に曰く、直者も亦た訐き、訐者も亦た訐く。其の訐くは則ち同じきも、其の訐くを為す所以は則ち異なる。通者も亦た宕し、宕者も亦た宕す。其の宕を為す所以は則ち異なる。然らば則ち、何を以て之を別たん。直にして能く温なる者は、徳なり。直にして好んで訐く者は、偏なり。訐きて直ならざる者は、依なり。道にして能く節ある者は、通なり。通にして時に過ぐる者は、偏なり。宕にして節あらざる者は、依なり。

現代語訳

言葉を発する前から怒りの色が先に表れるのは、心に憤りがあふれているからである。言葉を発しようとするときに怒気がそれを押し出すのは、納得していないことを無理に言わされているからである。およそこうしたものは、しるしが外に表れ、覆い隠すことができない。隠そうとしても、目の光や顔色がついてこず、心の動揺や驚きがはっきり表れるので、取り繕っても見抜ける。だから、心の動きの変化を観れば、ふだんの度量の実情を知ることができる。では、その人の資質の至る所を観て、どのような名声が立つかを知るとは、どういうことか。およそ偏った才能の持ち主でも、優れた資質が二つ以上そろえば、その資質どうしが引き立て合って、よい評判が生まれる。だから、骨格がまっすぐで気が清らかであれば、立派な人という名声が生まれ、気が清らかで力が強ければ、激しく勇ましい人という名声が生まれ、強さと知恵を備え道理に精通していれば、有能な人という名声が生まれ、知恵があってまっすぐで、強く誠実であれば、任せられる人という名声が生まれる。これらが端正な資質に集まれば、立派な徳が成し遂げられ、さらに学問を加えれば、文彩と条理が輝き出る。だから、資質の至る所の多い少ないを観れば、それぞれ異なる名声がどこから生まれるかを知ることができる。では、その人の行いが何に由っているかを観て、本物と、本物に依りかかった似て非なるものとを見分けるとは、どういうことか。そもそも、ただ人をあばき立てるだけの者は、性質がひねくれていて公正になれない。あばき立てることに依りかかる者は、一見まっすぐに見えて、あばき立てで善い人まであばく。ただ放縦なだけの者は、一見こだわりがないように見えて、道に通じることができない。放縦に依りかかる者は、一見融通がきくように見えて、行いが傲慢で節度を越える。だから次のように言う。まっすぐな者も人をあばくし、あばき屋も人をあばく。あばくことは同じだが、あばく理由が異なる。融通のきく者も放縦に見えるし、放縦な者も放縦である。だが放縦に見える理由が異なる。では、どうやって見分けるのか。まっすぐで温かさもある者は、徳である。まっすぐで好んで人をあばく者は、偏りである。人をあばくがまっすぐでない者は、依りかかり(似て非なるもの)である。道に従い節度もある者は、通である。融通がきくが時に度を越す者は、偏りである。放縦で節度のない者は、依りかかりである。

解説

八観の第二「感変」を結び、第三「至質」と第四「所由」を続けて説く長い段である。怒りは言葉の前後に必ずしるしを残し、隠そうとしても目や顔色がついてこない。次に、名声は二つ以上の優れた資質が引き立て合うところに生まれるとし、骨・気・力・智などの組み合わせで名声の種類を分ける。第一篇「九徴」の身体と気質の分析を、評判の成り立ちに結びつけたものである。そして「所由」では、同じ直言でも、正しさから出るものと人を攻撃したい性分から出るものがあると言い、徳・偏・依の三段階で見分ける。行動が同じでも動機が違えば別物だという指摘は、人事評価にもそのまま使える。率直な意見を言う人を観るときは、その率直さに温かさと節度が伴っているかを確かめたい。

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