囲炉夜話 / 第二百二十三則・功を內に用ふる者は外に求むる所無し
用功於內者,必於外無所求。飾美於外者,必其中無所有。
新字:用功於内者,必於外無所求。飾美於外者,必其中無所有。
書き下し
功を內に用ふる者は、必ず外に於いて求むる所無し。美を外に飾る者は、必ず其の中に有る所無し。
現代語訳
内面の修養に力を注ぐ人は、必ず外に何かを求めることがありません。外面を美しく飾る人は、必ずその内に何も持っていません。
解説
内と外の関係を、裏表の二句で示す対句です。用功於内とは、心や徳を養うことに努力を向けることです。内が満ちている人は、外からの評価や飾りを求める必要を感じません。反対に、外を美しく飾ることに熱心な人は、内に中身がないからこそ飾るのだと言います。『論語』の「巧言令色、鮮なし仁」にも通じる、見かけへの警戒です。上の句は内から外へ、下の句は外から内へと、同じ事実を二つの方向から照らしているのが巧みなところです。見せる努力と育てる努力の割合を、改めて考えさせてくれる句です。
この章句が説くこと
修養虚飾内省修身謙虚
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