囲炉夜話 / 第二百四則・謙は是れ虛心、諂は是れ媚心
嚴近乎矜,然嚴是正氣,矜是乖氣,故持身貴嚴而不可矜。 謙似乎諂,然謙是虛心,諂是媚心。故處世貴謙而不可諂。
新字:厳近乎矜,然厳是正気,矜是乖気,故持身貴厳而不可矜。 謙似乎諂,然謙是虚心,諂是媚心。故処世貴謙而不可諂。
書き下し
嚴は矜に近し、然れども嚴は是れ正氣、矜は是れ乖氣なり、故に身を持するは嚴を貴びて矜なる可からず。 謙は諂に似たり、然れども謙は是れ虛心、諂は是れ媚心なり。故に世に處するは謙を貴びて諂ふ可からず。
現代語訳
厳しさは高慢に近く見えますが、厳しさは正しい気であり、高慢はねじれた気です。だから身を保つには厳しさを大切にし、高慢になってはいけません。謙虚はへつらいに似て見えますが、謙虚は心を空しくすることであり、へつらいは媚びる心です。だから世を渡るには謙虚を大切にし、へつらってはいけません。
解説
似て非なる二組の徳と悪徳を見分ける対句です。矜とは、ここでは自分を誇り高ぶることです。自分に厳しい人は近寄りがたく見えて、高慢と取り違えられやすいものです。けれども厳しさは正しさから来る気で、高慢はひねくれた気だと、その源の違いで区別します。下の句では、謙虚とへつらいが外見では似ていても、謙虚は自分を空しくして人に学ぶ心、へつらいは人に取り入ろうとする心だと言います。どちらも、見た目ではなく心の出どころで見分けよという教えです。人に丁寧であることと顔色をうかがうことは、紙一重に見えて根が違います。
この章句が説くこと
謙虚厳格追従処世修身
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