囲炉夜話 / 第百九十一則・其の禍已に成る
以漢高祖之英明,知呂后必殺戚姬,而不能救止,蓋其禍已成也。 以陶朱公之智計,知長男必殺仲子,而不能保全,殆其罪難宥乎。
新字:以漢高祖之英明,知呂后必殺戚姫,而不能救止,蓋其禍已成也。 以陶朱公之智計,知長男必殺仲子,而不能保全,殆其罪難宥乎。
書き下し
漢の高祖の英明を以てして、呂后の必ず戚姬を殺すを知れども、救ひ止むること能はず、蓋し其の禍已に成ればなり。 陶朱公の智計を以てして、長男の必ず仲子を殺すを知れども、保全すること能はず、殆ど其の罪宥し難きか。
現代語訳
漢の高祖ほどの優れた人でも、呂后が必ず戚姫を殺すと分かっていながら、それを止めることができませんでした。思うに、その災いがすでに出来上がっていたからでしょう。陶朱公ほどの知恵者でも、長男が必ず次男を死なせると分かっていながら、次男を救うことができませんでした。おそらく、その罪が許しがたいものだったからでしょう。
解説
知恵ある人でも防げない禍があることを、二つの史話で示す則です。漢の高祖劉邦は、寵愛した戚夫人が自分の死後に呂后に殺されることを予見しながら、防ぐことができませんでした。災いの種がすでに育ちきっていたからだと著者は見ます。陶朱公は越の范蠡のことで、『史記』によれば、罪を犯した次男を救うために長男を遣わしましたが、財を惜しむ長男のために次男は死にました。著者は、次男の罪がそもそも重すぎたのだと見ます。禍は形になる前でなければ防げないことを、逆から教える句です。問題は小さいうちに手を打て、という今の知恵にもつながります。
この章句が説くこと
禍福予見史記范蠡処世
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