史記 / 魏其武安侯列伝
太史公曰:魏其、武安皆以外戚重,灌夫用一時決筴而名顯。魏其之舉以吳楚,武安之貴在日月之際。然魏其誠不知時變,灌夫無術而不遜,兩人相翼,乃成禍亂。武安負貴而好權,杯酒責望,陷彼兩賢。嗚呼哀哉!遷怒及人,命亦不延。眾庶不載,竟被惡言。嗚呼哀哉!禍所從來矣!
新字:太史公曰:魏其、武安皆以外戚重,灌夫用一時決筴而名顕。魏其之舉以呉楚,武安之貴在日月之際。然魏其誠不知時変,灌夫無術而不遜,両人相翼,乃成禍乱。武安負貴而好権,杯酒責望,陥彼両賢。嗚呼哀哉!遷怒及人,命亦不延。衆庶不載,竟被悪言。嗚呼哀哉!禍所従来矣!
書き下し
太史公曰く、魏其・武安は皆外戚を以て重く、灌夫は一時の決筴を用ひて名顕る。魏其の挙げらるるは呉楚を以てし、武安の貴きは日月の際に在り。然れども魏其は誠に時変を知らず、灌夫は術無くして不遜なり。両人相翼けて、乃ち禍乱を成す。武安は貴を負みて権を好み、杯酒に責望して、彼の両賢を陥る。嗚呼哀しいかな。怒りを遷して人に及ぼし、命も亦延びず。衆庶載せず、竟に悪言を被る。嗚呼哀しいかな。禍の従りて来る所あり。
現代語訳
太史公は言う。魏其侯と武安侯はともに外戚であることで重んじられ、灌夫は一時の果断な決断によって名を顕した。魏其侯が取り立てられたのは呉楚の乱によってであり、武安侯が貴くなったのは日月の交代の時(景帝から武帝への代替わり)であった。しかし魏其侯はまことに時勢の変化を知らず、灌夫は処世の術がなく不遜であった。二人が互いに助け合ったことが、かえって災いと混乱を生んだのである。武安侯は高い地位を頼んで権力を好み、酒席のことで恨みを抱いて、あの二人の賢者を陥れた。ああ、悲しいことだ。怒りを他人にまで移し及ぼしたが、自分の命も長くはなかった。民衆も彼を支持せず、ついには悪評を受けることになった。ああ、悲しいことだ。災いには必ずその由って来るところがあるのだ。
解説
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史記 魏其武安侯列伝詔書独り魏其の家に蔵し、家丞封ず。乃ち魏其を先帝の詔を矯むと劾し、罪棄市に当たる。五年十月、悉く灌夫及び家属を論ず。魏其良久しくして乃ち聞く。聞きて即ち恚り、痱を病み、食はずして死せんと欲す。或ひと上に魏其を殺すに意無しと聞く。魏其復た食ひ、病を治む。議定まりて死せざらんとす。乃ち蜚語の悪言を為して上に聞する有り。故に十二月の晦を以て論じて渭城に棄市す。其の春、武安侯病み、専ら服謝罪を呼ぶ。巫の鬼を視る者をして之を視しむるに、魏其・灌夫共に守りて、之を殺さんと欲するを見る。竟に死す。子恬嗣ぐ。元朔三年、武安侯襜褕を衣て宮に入るに坐し、不敬なり。淮南王安の謀反覚れ、治む。王前に朝す。武安侯太尉為り。時に王を覇上に迎へ、王に謂ひて曰く、「上未だ太子有らず。大王最も賢にして、高祖の孫なり。即し宮車晏駕せば、大王に非ずして立つるは当に誰なるべき」と。淮南王大いに喜び、厚く金財物を遺る。上魏其の時より武安を直とせず。特だ太后の為の故なるのみ。淮南王の金の事を聞くに及び、上曰く、「武安侯をして在らしめば、族せん」と。
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史記 魏其武安侯列伝魏其侯大いに媿ぢ、資を為して賓客をして請はしむるも、能く解く莫し。武安の吏皆耳目と為り、諸灌氏皆亡げ匿れ、夫系がれて、遂に武安の陰事を告言するを得ず。魏其身を鋭くして為に灌夫を救ふ。夫人魏其を諫めて曰く、「灌将軍罪を丞相に得、太后の家と忤ふ。寧ぞ救ふべけんや」と。魏其侯曰く、「侯は我より之を得、我より之を捐つ。恨む所無し。且つ終に灌仲孺をして独り死し、嬰独り生きしめず」と。乃ち其の家に匿れて、竊かに出でて上書す。立ちどころに召し入れらる。具に灌夫の酔飽の事を言ひ、誅するに足らずとす。上之を然りとし、魏其に食を賜ひ、曰く、「東朝にて之を廷弁せよ」と。魏其東朝に之き、盛んに灌夫の善を推し、其の酔飽して過を得たるに、乃ち丞相他事を以て之を誣罪すと言ふ。武安又盛んに灌夫の為す所の横恣にして、罪逆不道なるを毀る。魏其度るに奈何ともすべからず、因りて丞相の短を言ふ。武安曰く、「天下幸ひにして安楽無事なり。蚡肺腑為るを得、好む所は音楽狗馬田宅なり。蚡の愛する所は倡優巧匠の属なり。魏其・灌夫の日夜天下の豪桀壮士を招聚して与に論議し、腹誹して心謗し、天を仰ぎ視ずして地に俯して画し、両宮の間を辟倪し、天下の変有らんことを幸ひとして、大功有らんと欲するに如かず。臣乃ち魏其等の為す所を知らず」と。是に於て上朝臣に問ふ、「両人孰れか是なる」と。御史大夫韓安国曰く、「魏其言ふ、灌夫の父事に死し、身戟を荷ひて不測の呉の軍に馳せ入り、身に数十創を被り、名三軍に冠たり。此れ天下の壮士なり。大悪有るに非ず。杯酒を争ふのみ。他の過を引きて以て誅するに足らずと。魏其の言是なり。丞相も亦言ふ、灌夫は姦猾に通じ、細民を侵し、家は巨万を累ね、潁川に横恣し、宗室を凌轢し、骨肉を侵犯すと。此れ所謂『枝は本より大きく、脛は股より大きければ、折れずんば必ず披く』なり。丞相の言も亦是なり。唯明主之を裁け」と。
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史記 魏其武安侯列伝主爵都尉汲黯魏其を是とす。内史鄭当時魏其を是とするも、後に敢へて堅く対へず。余は皆敢へて対ふる莫し。上内史を怒りて曰く、「公平生数々魏其・武安の長短を言ふ。今日廷論するに、局趣して轅下の駒に効ふ。吾並びに若の属を斬らん」と。即ち罷めて起ちて入り、太后に食を上る。太后も亦已に人をして候伺せしめ、具に以て太后に告ぐ。太后怒りて、食はずして、曰く、「今我在るに、人皆吾が弟を藉く。我が百歳の後をして、皆之を魚肉にせしめん。且つ帝寧ぞ能く石人為らんや。此れ特だ帝在ればこそ、即ち録録たり。設し百歳の後ならば、是の属寧ぞ信ずべき者有らんや」と。上謝して曰く、「倶に宗室外家なり。故に之を廷弁せしむ。然らずんば、此れ一獄吏の決する所のみ」と。是の時郎中令石建上の為に別に両人の事を言ふ。武安已に朝を罷め、止車門を出で、韓御史大夫を召して載せ、怒りて曰く、「長孺と共に一老禿翁なり。何為れぞ首鼠両端なる」と。韓御史良久しくして丞相に謂ひて曰く、「君何ぞ自ら喜せざる。夫れ魏其君を毀らば、君当に冠を免ぎ印綬を解きて帰り、『臣肺腑を以て幸ひに罪を待つを得たるも、固より其の任に非ず。魏其の言は皆是なり』と曰ふべし。此の如くんば、上必ず君の譲る有るを多として、君を廃せざらん。魏其必ず内に愧ぢ、門を杜ぢ舌を齰みて自殺せん。今人君を毀り、君も亦人を毀る。譬へば賈豎・女子の言を争ふが如し。何ぞ其の大体無きや」と。武安謝罪して曰く、「争ふ時急にして、此に出づるを知らず」と。是に於て上御史をして魏其の灌夫を言ふ所を簿責せしむるに、頗る讎はず、欺謾なり。劾して都司空に系ぐ。孝景の時、魏其常に遺詔を受く、曰く「事に便ならざる有らば、便宜を以て上に論ぜよ」と。系がるるに及び、灌夫の罪族に至り、事日に急にして、諸公敢へて復た明らかに上に言ふ莫し。魏其乃ち昆弟の子をして上書して之を言はしめ、幸ひに復た召見せらるるを得んとす。書上に奏せらるるも、尚書を案ずるに大行に遺詔無し。
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史記 魏其武安侯列伝武安侯は職に任ぜずと雖も、王太后の故を以て、親幸せられ、数々事を言ひて多く効あり。天下の吏士の勢利に趨る者、皆魏其を去りて武安に帰す。武安日に益々横なり。建元六年、竇太后崩ず。丞相昌・御史大夫青翟喪事の辦ぜざるに坐して、免ぜらる。武安侯蚡を以て丞相と為し、大司農韓安国を以て御史大夫と為す。天下の士郡の諸侯愈々益々武安に附く。武安は、貌侵にして、生まれながらにして貴きこと甚だし。又以為へらく、諸侯王多く長じ、上初めて即位し、春秋に富む。蚡肺腑を以て京師の相と為る。痛く節を折りて礼を以て之を詘するに非ずんば、天下粛まずと。是の時に当たり、丞相入りて事を奏すれば、坐語すること日を移し、言ふ所皆聴かる。人を薦むるに或いは家より起こして二千石に至る。権主上に移る。上乃ち曰く、「君の吏を除くこと已に尽くせりや未だしや。吾も亦吏を除かんと欲す」と。嘗て考工の地を請ひて宅を益さんとす。上怒りて曰く、「君何ぞ遂に武庫を取らざる」と。是の後乃ち退く。嘗て客を召して飲み、其の兄蓋侯を南郷に坐せしめ、自ら東郷に坐す。以為へらく漢の相は尊し、兄の故を以て私かに橈むべからずと。武安此に由りて滋々驕り、宅を治むること諸第に甲たり。田園は極めて膏腴にして、市して郡県の器物を買ふこと道に相属く。前堂には鐘鼓を羅ね、曲旃を立つ。後房の婦女は百を以て数ふ。諸侯の奉ずる金玉狗馬玩好、勝げて数ふべからず。魏其竇太后を失ひ、益々疏んぜられて用ひられず、勢無し。諸客稍稍自ら引きて怠傲す。唯灌将軍のみ独り故を失はず。魏其日に黙黙として志を得ず、
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史記 魏其武安侯列伝丞相嘗て籍福をして魏其の城南の田を請はしむ。魏其大いに望みて曰く、「老僕棄てらると雖も、将軍貴しと雖も、寧ぞ勢を以て奪ふべけんや」と。許さず。灌夫聞きて、怒り、籍福を罵る。籍福両人の郤有るを悪み、乃ち謾りて自ら好くして丞相に謝して曰く、「魏其は老いて且に死せんとす。忍び易し。且く之を待て」と。已にして武安魏其・灌夫の実は怒りて田を予へざるを聞き、亦怒りて曰く、「魏其の子嘗て人を殺す。蚡之を活かす。蚡魏其に事へて可ならざる所無し。何ぞ数頃の田を愛しまん。且つ灌夫何ぞ与らん。吾敢へて復た田を求めず」と。武安此に由りて大いに灌夫・
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史記 魏其武安侯列伝武安侯田蚡は、孝景后の同母弟なり。長陵に生まる。魏其已に大将軍と為りし後、方に盛んなり。蚡諸郎為りて、未だ貴からず、往来して魏其に侍酒し、跪起すること子姓の如し。孝景の晩節に及び、蚡益々貴幸せられ、太中大夫と為る。蚡は弁にして口有り、槃盂の諸書を学ぶ。王太后之を賢とす。孝景崩じ、即日太子立ち、制を称す。鎮撫する所多く田蚡の賓客の計筴有り。蚡の弟田勝、皆太后の弟なるを以て、孝景の後三年、蚡を封じて武安侯と為し、勝を周陽侯と為す。武安侯新たに事を用ひて相と為らんと欲し、賓客に卑下し、名士の家居する者を進めて之を貴くし、以て魏其の諸将相を傾けんと欲す。建元元年、丞相綰病みて免ぜらる。上丞相・太尉を置かんことを議す。籍福武安侯に説きて曰く、「魏其貴きこと久し。天下の士素より之に帰す。今将軍初めて興り、未だ魏其に如かず。即し上将軍を以て丞相と為さば、必ず魏其に譲れ。魏其丞相と為らば、将軍必ず太尉と為らん。太尉・丞相は尊きこと等しきのみ。又賢に譲るの名有り」と。武安侯乃ち微かに太后に言ひて上に風せしむ。是に於て乃ち魏其侯を以て丞相と為し、武安侯を太尉と為す。籍福魏其侯を賀し、因りて弔ひて曰く、「君侯の資性は善を喜び悪を疾む。方今善人君侯を誉む。故に丞相に至る。然れども君侯且つ悪を疾む。悪人衆し。亦且に君侯を毀らんとす。君侯能く兼容せば、則ち幸ひに久しからん。能はずんば、今以て毀られて去らん」と。魏其聴かず。魏其・武安倶に儒術を好み、趙綰を推轂して御史大夫と為し、王臧を郎中令と為す。魯の申公を迎へ、明堂を設け、列侯をして国に就かしめ、関を除き、礼を以て服制を為し、以て太平を興さんと欲す。諸竇の宗室の節行毋き者を挙適し、其の属籍を除く。時に諸々の外家列侯と為り、列侯多く公主を尚り、皆国に就くを欲せず。故を以て毀日に竇太后に至る。

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