史記 / 魏其武安侯列伝
太史公曰、魏其・武安皆以外戚重、灌夫用一時決筴而名顕。魏其之挙以呉楚、武安之貴在日月之際。然魏其誠不知時変、灌夫無術而不遜、両人相翼、乃成禍乱。武安負貴而好権、杯酒責望、陥彼両賢。嗚呼哀哉。遷怒及人、命亦不延。衆庶不載、竟被悪言。嗚呼哀哉。禍所従来矣。
書き下し
太史公曰く、魏其・武安皆外戚を以て重んぜられ、灌夫一時の決筴を用ゐて名顕る。魏其の挙は呉楚を以てし、武安の貴は日月の際に在り。然れども魏其は誠に時変を知らず、灌夫は術無くして遜ならず、両人相翼け、乃ち禍乱を成す。武安は貴を負ひて権を好み、杯酒の責望、彼の両賢を陥る。嗚呼哀しいかな。怒りを遷して人に及ぼし、命も亦た延びず。衆庶載せず、竟に悪言を被る。嗚呼哀しいかな。禍の従りて来たる所あり。
現代語訳
「時勢の変化を読み、力に驕らず、怒りを人に向けない——それを欠けば、賢者も身を滅ぼす」——竇嬰・田蚡・灌夫の悲劇を、司馬遷が総括する結びの一段です。三人はいずれも、時代の寵児でした。竇嬰(魏其侯)と田蚡(武安侯)は外戚として重んじられ、灌夫はとっさの決断と武功で名を挙げた。竇嬰は呉楚の乱平定で世に出、田蚡は皇后の縁で栄華を極めました。しかし彼らは、それぞれの欠点ゆえに破滅します。司馬遷は、その欠点を鋭くえぐります。竇嬰は「まことに時勢の変化を読めなかった(誠不知時變)」——後ろ盾を失い勢いが去ったのに、かつての誇りに固執し、身の処し方を誤った。灌夫は「方法を欠き、へりくだることを知らなかった(無術而不遜)」——剛直ではあったが、状況をわきまえた身の処し方(術)がなく、いたずらに敵を作った。この二人が互いにかばい合った結果、かえって共倒れの禍乱を招いた。そして田蚡は「高い地位を頼みとし、権力を好み(負貴而好權)」、酒の席での些細な恨み(杯酒責望)から、この二人の賢者を陥れて死に追いやった。司馬遷は嘆きます。「ああ、哀しいことだ。怒りを(本来の相手でない)人にまで向けた(遷怒及人)田蚡もまた、寿命を延ばせなかった。世の人々は田蚡を認めず、ついに悪評をこうむった。ああ、哀しいことだ。禍には、それが生じてくる原因があるのだ(禍所從來矣)」と。ここに、身を滅ぼさぬための教訓があります。第一に、時勢の変化を読み、それに応じて身の処し方を変えること(知時變)。竇嬰のように、勢いが去ってもかつての誇りに固執すれば、判断を誤る。栄枯盛衰の変化に、しなやかに対応する知恵が要る。第二に、剛直さや信念も、状況をわきまえる「術」と、へりくだる謙虚さを伴わなければ、いたずらに敵を作り身を滅ぼすということ(無術而不遜)。灌夫の悲劇は、正しさだけでは足りず、賢い身の処し方が要ることを示す。第三に、高い地位や権力に驕り、私的な恨みや怒りを、力にものを言わせて他人にぶつけてはならないということ(負貴好權、遷怒及人)。田蚡もまた、その報いを受けた。組織や人生で、時勢の変化を読んで身を処すこと、信念に賢い方法と謙虚さを伴わせること、そして地位に驕らず私的な怒りを人にぶつけないこと——この悲劇の総括は、賢者すら滅ぼす落とし穴を、深く教えます。