史記 / 越王句践世家
朱公の長男其の弟を救ふ能はず、其の母及び邑人尽く之を哀しむ、唯だ朱公独り笑ひて曰、吾固より必ず其の弟を殺すを知れり。彼弟を愛せざるに非ず、顧た忍ぶ能はざる所有ればなり。是れ少くして我と俱にし、苦を見、生を為すこと難く、故に財を棄つるを重んず。少弟の生まれて我が富めるを見るがごときに至りては、豈に財の従りて来たる所を知らんや、故に之を軽く棄つ。
書き下し
朱公の長男其の弟を救ふ能はず、其の母及び邑人尽く之を哀しむ、唯だ朱公独り笑ひて曰く、「吾固より必ず其の弟を殺すを知れり。彼弟を愛せざるに非ず、顧た忍ぶ能はざる所有ればなり。是れ少くして我と俱にし、苦を見、生を為すこと難く、故に財を棄つるを重んず。少弟の生まれて我が富めるを見るがごときに至りては、豈に財の従りて来たる所を知らんや、故に之を軽く棄つ」と。
現代語訳
「人の価値観や振る舞いは、その人が育った境遇によって形づくられる——それを見極めて、人を用いる」——大商人となった范蠡(朱公)が、我が子の性質を見抜いていた逸話を描いた一段です。越を去った范蠡は、名を「陶朱公」と変え、大商人として、巨万の富を築きました。あるとき、彼の次男が、楚で罪を犯し、死刑になりそうになります。朱公は、大金を使って、次男を救おうとし、末子に、その大金を届けさせようとしました。ところが、長男が、「自分が行く」と、強く願い出ます。朱公は、しぶしぶ長男に行かせましたが、「必ず、弟は死ぬだろう」と、予言していました。案の定、長男は、(せっかく賄賂を渡しながら、)大金を惜しむあまり、それを取り戻そうとして、(かえって事をこじらせ、)弟を、死なせてしまったのです。弟の遺体が帰り、母も、里の人々も、皆、悲しむ中、朱公だけは、ひとり、笑って、こう言いました。「私は、もとより、長男が、必ず弟を、死なせてしまうだろうと、分かっていた(吾固知必殺其弟也)。長男が、弟を愛していなかったわけではない。ただ、(ある事情のために、)どうしても、我慢できないところが、あったのだ。長男は、幼い頃、私と共に、苦労を重ね、生活の苦しさを、身をもって知っている。だから、(苦労して得た)財を、(惜しんで、)手放すことを、重く考える(重棄財)。一方、末子は、生まれたときには、すでに、私が裕福だったので、財が、どこから来るのか(=稼ぐ苦労を)、知らない。だから、(財を、)惜しげもなく、軽々と手放せる(輕棄之)。先に、末子を(金を惜しまない者として)行かせようとしたのは、まさに、この理由からだった」と。人の、財に対する態度が、育った境遇によって、正反対に形づくられることを、朱公は、見抜いていたのです。ここに、境遇と人の性質についての教訓があります。第一に、人の価値観や、振る舞い、(お金や、リスクに対する態度など)は、その人が、どのような境遇で育ったかによって、大きく形づくられるということ。苦労して育った長男と、豊かさの中で育った末子とでは、財への態度が、正反対になった。第二に、だからこそ、人を、ある役目に用いるときは、その人の、能力だけでなく、育った境遇によって形づくられた、性質や、価値観までも、見極めて、(その役目に、)適した者を、選ぶこと。朱公は、「金を惜しまず使える」末子が、この役目に適していると、見抜いていた。第三に、人の性質は、そう簡単には変わらないと、冷静に受け止めること(朱公は、長男が失敗すると分かっていて、それを悲しまなかった)。組織や人を用いる際に、人の価値観や振る舞いが育った境遇に形づくられると知ること、人を用いるとき能力だけでなく境遇が形づくった性質まで見極めること、そして人の性質はそう簡単に変わらないと冷静に受け止めること——朱公と長子の逸話は、境遇が人を形づくることと、それを踏まえた人の用い方を教えます。