囲炉夜話 / 第百七十二則・此れ是れ何等の胸襟ぞ
自家富貴不著意裏,人家富貴不著眼裏,此是何等胸襟! 古人忠孝不離心頭,今人忠孝不離口頭,此是何等志量!
書き下し
自家の富貴は意裏に著けず、人家の富貴は眼裏に著けず、此れ是れ何等の胸襟ぞ。 古人の忠孝は心頭を離れず、今人の忠孝は口頭を離れず、此れ是れ何等の志量ぞ。
現代語訳
自分の富や地位を心に留めず、他人の富や地位を目に留めない、これはなんと広い胸の内でしょうか。昔の人は忠孝が心から離れず、今の人は忠孝が口先から離れない、これは志の大きさがなんと違うことでしょうか。
解説
前半は理想の胸襟を称え、後半は昔と今の志を比べる対句です。自分の富貴を意に留めないのは驕らないこと、他人の富貴を目に留めないのは妬まないことです。二つがそろって初めて、富貴に振り回されない広い心になります。後半は、心頭と口頭という一字違いの言葉で鋭い対比を作っています。昔の人は忠孝を心に抱いて行い、今の人は忠孝を口にするだけだというのです。同じ「何等」という言葉が、前半では感嘆、後半では嘆きとして響くのが面白いところです。理念を口にする機会が多い立場の人ほど、それが心頭にあるか口頭にあるかを確かめたくなります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
胸襟忠孝富貴言行修身
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