囲炉夜話 / 第百五十六則・其の名は科名に非ず
儒者多文為富,其文非時文也。君子疾名不稱,其名非科名也。
新字:儒者多文為富,其文非時文也。君子疾名不称,其名非科名也。
書き下し
儒者は多文を富と為す、其の文は時文に非ざるなり。君子は名の稱せられざるを疾む、其の名は科名に非ざるなり。
現代語訳
儒者は多くの学識を持つことを富とすると言われますが、その「文」とは科挙の受験用の文章のことではありません。君子は名が称えられないことを嫌うと言われますが、その「名」とは科挙に合格した肩書きのことではありません。
解説
古典の言葉が取り違えられるのを正す対句です。上の句は『礼記』儒行篇の「多文以て富と為す」を踏まえます。時文とは、科挙の答案に使う試験用の文章です。下の句は『論語』衛霊公篇の「君子は世を没するまで名の称せられざるを疾む」を踏まえ、その名は合格者名簿に載る科名ではないと言います。学問が試験の道具になり、古典の言葉までがその言い訳に使われていたのでしょう。本来の文は人を養う学識で、本来の名は行いによって残る評判です。資格や肩書きを集めることが、いつの間にか学ぶ目的になっていないかを問う句です。
この章句が説くこと
学問名声科挙儒者修身
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