囲炉夜話 / 第百五十三則・口を闔ぢて禍を防ぐ
神傳於目,而目則有胞,閉之可以養神也。 禍出於口,而口則有唇,闔之可以防禍也。
新字:神伝於目,而目則有胞,閉之可以養神也。 禍出於口,而口則有唇,闔之可以防禍也。
書き下し
神は目に傳はる、而して目には則ち胞有り、之を閉ぢて以て神を養ふ可きなり。 禍は口より出づ、而して口には則ち唇有り、之を闔ぢて以て禍を防ぐ可きなり。
現代語訳
精神は目に表れ出ますが、目にはまぶたがあるので、それを閉じれば精神を養うことができます。災いは口から出ますが、口には唇があるので、それを閉じれば災いを防ぐことができます。
解説
体のつくりに教えを読み取る対句です。神とは精神や気力のことで、それが目から外へ漏れ出ると考えられていました。胞はここではまぶたを指します。見るものが多すぎれば心は散るので、目を閉じる時間が気力を養うというのです。下の句は「禍は口より出づ」という古い戒めを踏まえ、唇という蓋が備わっているのは、閉じて災いを防ぐためだと言います。目と口は、開くためだけでなく閉じるための仕組みも持っているという発想が面白いところです。画面を見続け、発信し続ける今の暮らしでこそ、閉じる時間を意識して持ちたいものです。
この章句が説くこと
養生慎言禍福修身沈黙
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