囲炉夜話 / 第九十五則・定めて悠久の人家と爲る
謹守父兄教條,沉實謙恭,便是醇潛子弟。 不改祖宗成法,忠厚勤儉,定為悠久人家。
新字:謹守父兄教条,沈実謙恭,便是醇潜子弟。 不改祖宗成法,忠厚勤倹,定為悠久人家。
書き下し
謹んで父兄の教條を守り、沉實謙恭なれば、便ち是れ醇潛の子弟なり。 祖宗の成法を改めず、忠厚勤儉なれば、定めて悠久の人家と爲る。
現代語訳
父や兄の教えをきちんと守り、落ち着いて誠実で、謙虚で恭しいならば、それは純朴で奥ゆかしい子弟です。先祖が定めた家の決まりを改めず、誠実で情に厚く、勤勉で倹約であるならば、必ず末長く続く家となります。
解説
よい子弟とよい家の条件を、それぞれ四字の徳で示した則です。前半は子弟の側で、父兄の教えを守ること、沈実すなわち落ち着いて誠実なこと、謙恭すなわち謙虚で礼儀正しいことを挙げ、そういう人を醇潜、つまり純で内に深みのある子弟と呼びます。後半は家の側で、祖先の定めた家法を守り、忠厚勤倹を保てば家は長く続くと言います。子が守ることと家が守ることを重ね、一人の心がけが家の永続につながるという構図になっています。今日でいえば、会社の創業の理念や家の習慣を軽々しく変えないことの大切さに通じます。ただし著者が守れと言うのは形式よりも、誠実さや勤勉といった中身だと読むのがよいでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
家訓勤倹謙虚忠厚孝
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