囲炉夜話 / 第二則・族に薄き者は好き兒孫無し
薄族者,必無好兒孫。薄師者,必無佳子弟。吾所見亦多矣。 恃力者,忽逢真敵手。恃勢者,忽逢大對頭。人所料不及也。
新字:薄族者,必無好児孫。薄師者,必無佳子弟。吾所見亦多矣。 恃力者,忽逢真敵手。恃勢者,忽逢大対頭。人所料不及也。
書き下し
族に薄き者は、必ず好き兒孫無し。師に薄き者は、必ず佳き子弟無し。吾が見る所も亦た多し。 力を恃む者は、忽ち真の敵手に逢ふ。勢を恃む者は、忽ち大いなる對頭に逢ふ。人の料り及ばざる所なり。
現代語訳
一族を粗末に扱う者には、必ずよい子孫がいません。師を粗末に扱う者には、必ずすぐれた子弟がいません。私が見てきた例も多くあります。力を頼む者は、不意に本当の強敵に出会います。権勢を頼む者は、不意に大きな相手に出会います。これは人が予想もしないことです。
解説
前半は恩ある人への態度が次の世代に返ってくることを、後半はおごりが思わぬ相手を招くことを述べています。一族や師を軽んじる姿を子は見て育ち、同じように人を軽んじるようになります。著者はそれを多く見てきたと、自分の見聞として語ります。後半の対頭は、張り合う相手、敵のことです。力や地位を頼みにする人ほど、上には上がいることを忘れがちです。二つの句は、謙虚さを失った人に報いが来るという点でつながっています。組織でも、恩人を大切にし、自分の強みを過信しない人が長く信頼されます。
この章句が説くこと
恩師謙虚因果家訓
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