秘本玉くしげ / 上 貧富の堺
さてそれも少し不〓りなる方に趣くときは、又万事みな右のうらへまはる故に、鉅万の金銀も消やすき事も又春の雪の如し。されど其金銀も貧民へは潤はずして、それもまた皆富商の手に入る也。又富る者は、一旦大に損をする事あれ共、土臺が丈夫なれば又取返す事もやすきに、貧しき者は損をしても再び取かへすべきたねなければ、永くその損をいやすことあたはず。何につきても、貧人と富人との堺は甚しき違ひにて、貧人は富人のために貧をまし、富人は貧人によりて富をかさぬる也。右は商人のみならず、百姓などのうへにても同じ事にて、富る者は百姓ながらに多く商をもし、金銀のやりくりのうへにて利を得る事も商人にかはることなし。又農作のうへにても、富る者は利を得ること多し。
新字:さてそれも少し不〓りなる方に趣くときは、又万事みな右のうらへまはる故に、鉅万の金銀も消やすき事も又春の雪の如し。されど其金銀も貧民へは潤はずして、それもまた皆富商の手に入る也。又富る者は、一旦大に損をする事あれ共、土台が丈夫なれば又取返す事もやすきに、貧しき者は損をしても再び取かへすべきたねなければ、永くその損をいやすことあたはず。何につきても、貧人と富人との堺は甚しき違ひにて、貧人は富人のために貧をまし、富人は貧人によりて富をかさぬる也。右は商人のみならず、百姓などのうへにても同じ事にて、富る者は百姓ながらに多く商をもし、金銀のやりくりのうへにて利を得る事も商人にかはることなし。又農作のうへにても、富る者は利を得ること多し。
書き下し
さてそれも少し不(一字不明)りなる方に趣くときは、又万事みな右のうらへまはる故に、鉅万の金銀も消やすき事も又春の雪の如し。されど其金銀も貧民へは潤はずして、それもまた皆富商の手に入る也。又富る者は、一旦大に損をする事あれ共、土台が丈夫なれば又取返す事もやすきに、貧しき者は損をしても再び取かへすべきたねなければ、永くその損をいやすことあたはず。何につきても、貧人と富人との堺は甚しき違ひにて、貧人は富人のために貧をまし、富人は貧人によりて富をかさぬる也。右は商人のみならず、百姓などのうへにても同じ事にて、富る者は百姓ながらに多く商をもし、金銀のやりくりのうへにて利を得る事も商人にかはることなし。又農作のうへにても、富る者は利を得ること多し。
現代語訳
さてその富商も、少し(一字不明)の悪い方へ向かうときは、また万事がみな右の裏へ回るので、巨万の金銀も消えやすいことは、また春の雪のようである。けれども、その金銀も貧民へは潤わずに、それもまたみな(別の)富商の手に入るのである。また富んだ者は、ひとたび大きく損をすることがあっても、土台が丈夫なのでまた取り返すこともたやすいが、貧しい者は損をしても再び取り返す元手がないので、長くその損を癒すことができない。何につけても、貧しい人と富んだ人との境目はたいへんな違いであって、貧しい人は富んだ人のために貧しさを増し、富んだ人は貧しい人によって富を重ねるのである。以上は商人だけでなく、百姓などの上でも同じことであって、富んだ者は百姓でありながら多く商いもし、金銀のやりくりの上で利を得ることも商人と変わることがない。また農作の上でも、富んだ者は利を得ることが多い。
解説
この章句が説くこと
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『秘本玉くしげ』上 富は富商に集まる富める者、商の筋の諸事工面よき事は申すに及ばず、金銀ゆたかなるによりて、何事につけても手行よろしくて利を得る事のみなるゆゑに、いやとも金銀は次第にふゆる事なるを、貧しき者は何事もみなそのうらなれば、いよいよ貧しくなる道理也。さて世上困窮して不勝手なる商人多ければ、その不勝手なる方は何事も手行あしきから、売者も買者も多く手行のよき方へつく故に、富商はいよいよ工面よき也。又世上困窮に付ては、金銀を借者多き故に、ゆたかなる者はこれを貸て利を得る事多きに、貧しき者は借りて利を出して、いよいよ苦しむ也。尤借りて返さざる者も多けれ共、それに付ては貸者は又はいろいろと勘弁して、慥なるやうを考へてかしこく立まはる故に、損をする方はまづ少なし。惣じて今の世は、大抵利を得る事は難くして損はしやすき時節なるゆゑに、富商は随分金銀をへらさぬ分別を第一として、慥なるかたにつく故に、まづは減ずる事はすくなくて、とにかくにふゆる方おほき也。
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『秘本玉くしげ』上 富を散じて救う肥しなどをも丈夫にいれ、人手間をも十分にかけてつくる故に、みのりも殊に宜しく、米などを売出すにも、利の多き時を待て売故に、金銀を得ること多く、貧しき百姓はすこしの米を売にも、待ことなりがたき故に急にうれば、見す見す利を得ることなりがたくして、すべて商人の趣とかはることなし。とにかくに貧民は、何に付てもふびんなる者也。然れ共、世上の金銀財宝は、とかく平等には行わたりがたきものにて、片ゆきのするは古今のつねにて、ほどよく融通するやうにはなりがたき事也。其内にも今の世は、別して貧しき者はますます貧しく、富る者ますます富ことの甚しければ、上に立て治め玉ふ人の御はからひを以て、いかにもして甚富る者の手にあつまるところの金銀を、よきほどに散して、専ら貧民を救ひ玉ふやうにあらまほしきもの也。但しその散しやうは、その者の帰服して心から出すやうにあらではおもしろからず。
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『秘本玉くしげ』上 商人の友つぶれ上中下共に身分不相応におごりて、内証は困窮なるゆゑに、商事は多くても、買たる物のあたゐを得出さざる者殊の外多く、又借たる金銀を返さざる者おほきゆゑに、売者貸者利を得ることなりがたくて損をする事おほく、又世上の惣体の商は多けれ共、百姓の商人になるが多くて、商人の数次第に多きゆゑに、手まへ手まへの一分の商高は多からず。商高少なくては渡世になりがたきゆゑに、しひて多くせんとすれば、掛損などに多くなりて、又困窮に至る。さて町人は、内証は困窮しながらも、百姓よりは身を労する事もすくなく、又百姓よりは奢てとほるものゆゑに、百姓はこれをうらやみて、とかく町人になる事を願ふもの多し。それ故に商人は年年に多くなりて、友つぶれになる也。さて又、世上の奢甚しきゆゑに、其奢のすぢに用るもろもろの物おびただしく、それに人の手間をつゐやす事もおびただしき也。
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『秘本玉くしげ』下 金銀の忙しさ其本を尋ぬれば、実には世上通用の金銀甚多くして自由に手まはるから起りて、何事にもこれを用ふるやうになり、次第にはたらきいそがはしくなれるによりて、其多きよりもなほいそがはしき方が勝ゆゑに、得がたくてすくなきやうに思はるる也。さて金銀通用始まりていまだ久しからざりしほどは、多ければますます便利のよろしきのみにて、さのみ其弊はなかりしが、漸漸年代久しくなるにつきては、その弊も多くなれる也。右に申せる如く、世上何事にも是を用ひて取引する事多きままに、其取引の間にて過分の利を得る事多く、或は商人ながら物の交易をもせず、ただ金銀のうへのみを以て世を渡る者もおびただしく、富人は別してこれによりてますます富を重ぬること甚し。
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『秘本玉くしげ』下 遊民は国の損惣じて、金銀のやり引しげく多き故に、世上の人の心みなこれにうつりて、士農工商ことごとく己が本業をばおこたりて、ただ近道に手早く金銀を得る事にのみ目をかくるならひとなれり。世に少しにても、金銀の取引にて利を得ることあれば、それだけ作業をおこたる故、世上の損也。いはんや、業をばなさずして、ただ金銀の上のみにて世を渡る者はみな遊民にて、遊民の多きは国の大損なれば、おのづから世上困窮の基となれり。
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『秘本玉くしげ』上 無益の物の費えおよそ人間の用をなす一切の物は、其本は皆地より生ずる事なるが、其中に無てかなはぬ物と、無益のおごりに用る物とあるを、世上のおごり長じぬれば、その無益の事に多くの物を費す。その無益の物のために田地山林多くつゐへて、有用の物の出る妨となり、又無益の事にさまざま人の手間入事多き故に、有用の業をなすべき者もその無益のわざをなして世を渡る。これ天下の手間の費にして、かの無益の物に土地をつゐやすも同じ事也。然るに世人此子細をわきまへずして、何ごとをしてなりとも人の渡世になる事多く、商事おほければ、世上のにぎはひ繁昌也と心得るはひが事也。平民の身一分のうへにては、いかにも何わざをしてなりとも金銀を得る事の多きが利なれども、上に立て民を治むる人の身にとりては、領内おしならして利益あることならでは損ある也。たとへば、城下はにぎはふて商人は利を得る事多くても、在在百姓のつまりとなりては、本を失ふて末を益する也。但しこれは天下と一国一国との差別あり。
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