碧巌録 / 第六十九則
由基箭射猿 遶樹何太直千箇與萬箇是誰曾中的 相呼相喚歸去來曹溪路上休登陟。復云。曹溪路坦平。為什麼休登陟由基箭射猿。遶樹何太直。由基乃是楚時人。姓養。名叔。字由基。時楚莊王出獵。見一白猿。使人射之。其猿捉箭而戲。勅群臣射之。莫有中者。王遂問群臣。群臣奏曰。由基者善射。遂令射之。由基方彎弓。猿乃抱樹悲號。至箭發時。猿遶樹避之。其箭亦遶樹中殺。此乃神箭也。
新字:由基箭射猿 遶樹何太直千箇与万箇是誰曽中的 相呼相喚帰去来曹渓路上休登陟。復云。曹渓路坦平。為什麼休登陟由基箭射猿。遶樹何太直。由基乃是楚時人。姓養。名叔。字由基。時楚荘王出猟。見一白猿。使人射之。其猿捉箭而戯。勅群臣射之。莫有中者。王遂問群臣。群臣奏曰。由基者善射。遂令射之。由基方彎弓。猿乃抱樹悲号。至箭発時。猿遶樹避之。其箭亦遶樹中殺。此乃神箭也。
書き下し
由基の箭猿を射る、樹を遶ること何ぞ太だ直なる。千箇と万箇と、是れ誰か曾て的に中つる。相呼び相喚びて帰りなんいざ、曹渓路上登陟を休めよ。復た云く、「曹渓の路は坦平なり、什麼としてか登陟を休むる」。「由基の箭猿を射る、樹を遶ること何ぞ太だ直なる」。由基は乃ち是れ楚の時の人、姓は養、名は叔、字は由基。時に楚の荘王出でて猟し、一白猿を見て、人をして之を射しむ。其の猿、箭を捉へて戯る。群臣に勅して之を射しむるも、中つる者有ること莫し。王遂に群臣に問ふ。群臣奏して曰く、「由基なる者善く射る」と。遂に之を射しむ。由基方に弓を彎くに、猿乃ち樹を抱きて悲号す。箭発する時に至りて、猿樹を遶りて之を避く。其の箭亦樹を遶りて中て殺す。此れ乃ち神箭なり。
現代語訳
養由基の矢が猿を射る。樹を回るのに、なんとまっすぐなことか。千人万人いても、いったい誰が的に当てたことがあろうか。呼び合い声をかけ合って、さあ帰ろう。曹渓の道を登ることはやめよ。さらに言う。「曹渓の道は平らなのに、なぜ登ることをやめるのか」。「養由基の矢が猿を射る。樹を回るのに、なんとまっすぐなことか」。由基は楚の時代の人で、姓は養、名は叔、字は由基である。あるとき楚の荘王が狩りに出て、一匹の白い猿を見かけ、人に射させた。その猿は矢をつかんで戯れた。王は群臣に命じて射させたが、当てる者はいなかった。王はそこで群臣に問うた。群臣は「由基という者が射の名手です」と申し上げた。そこで由基に射させた。由基が弓を引き絞るや、猿は樹を抱いて悲しげに叫んだ。矢が放たれると、猿は樹を回って避けた。その矢もまた樹を回って当たり、猿を射殺した。これこそ神の矢である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第六十九則雪竇何が故にか却つて太だ直なりと言ふ。若し是れ太だ直ならば則ち中らず。既に是れ樹を遶る、何が故にか却つて太だ直なりと云ふ。雪竇其の意を借りて、妨げず用ゐ得て好きことを。此の事は春秋に出づ。有る者は道ふ、「樹を遶るは是れ円相なり」と。若し真箇に此の如くならば、蓋し語の宗旨を識らず、太だ直なる処を知らず。三箇の老漢、途を殊にして同じく一揆に帰し、一斉に太だ直なり。若し是れ他の去処を識得せば、七縦八横、方寸を離れず。百川流れを異にして、同じく大海に帰す。所以に南泉道ふ、「恁麼ならば則ち去かじ」と。若し是れ衲僧の正眼もて覷著せば、只だ是れ精魂を弄するのみ。若し喚んで精魂を弄すと作さば、却つて是れ精魂を弄するにあらず。五祖先師道ふ、「他の三人は是れ慧炬三昧、荘厳王三昧なり」と。此の如くなりと雖然も、女人拝を作すも、他は終に女人拝の会を作さず。円相を画くと雖も、他は終に円相の会を作さず。既に恁麼に会せずんば、又作麼生か会せん。雪竇道ふ、「千箇と万箇と、是れ誰か曾て的に中つる」と。能く幾箇か有りて百発百中せん。「相呼び相喚びて帰りなんいざ」、南泉の「恁麼ならば則ち去かじ」と道ふを頌す。南泉此れより去かず。故に云く、「曹渓路上登陟を休めよ」と。荊棘林を滅却す。雪竇把不定にして、復た云く、「曹渓の路は坦平なり、什麼としてか登陟を休むる」と。曹渓の路は塵を絶し迹を絶し、露裸裸、赤灑灑、平坦坦、翛然地なり。什麼としてか却つて登陟を休むる。各自脚下を看よ。
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『碧巌録』第八十一則這の公案、洞下には之を借事問と謂ひ、亦た之を辨主問と謂ふ。用ひて当機を明かす。鹿と麈とは尋常射易し。唯だ麈中の麈有り、是れ鹿中の王なり、最も是れ射難し。此の麈鹿、常に崖石の上に於て其の角を利ぎ、鋒鋩の如く頴利なり。身を以て群鹿を護惜し、虎も亦た近傍すること能はず。這の僧も亦た惺惺に似て、引き来つて藥山に問ひ、用ひて第一機を明かす。山云く、「箭を看よ」。作家の宗師、妨げず奇特なることを。石火を撃つが如く、閃電光に似たり。豈に見ずや、三平初め石鞏に参ず。鞏、纔かに来るを見て、便ち弓を彎く勢を作して云く、「箭を看よ」。三平、胸を撥開して云く、「此は是れ殺人箭か、活人箭か」。鞏、弓弦を弾くこと三下す。三平便ち礼拝す。鞏云く、「三十年、一張の弓、両隻の箭、今日只だ半箇の聖人を射得たり」と。便ち弓箭を拗折す。三平後に大顛に挙似す。顛云く、「既に是れ活人箭ならば、什麼と為てか弓弦上に向つて辨ずる」。三平無語。顛云く、「三十年後、人の此の話を挙せんことを要すとも、也た得難し」。法燈に頌有りて云く、「古へ石鞏師有り、弓矢を架して坐す。是の如くすること三十年、知音一箇も無し。三平的に中り来り、父子相ひ投和す。子細に返つて思量すれば、元と伊は是れ射垛なり」。
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『碧巌録』第八十一則麈中の麈、君看取せよ。一箭を下せば、三歩を走る。五歩若し活ならば、群を成して虎を趁はん。正眼従来猟人に付す。雪竇高声に云く、「箭を看よ」。麈中の麈、君看取せよ。衲僧家は須らく是れ麈中の麈底の眼を具し、麈中の麈底の頭角有り、機関有り作略有るべし。任ひ是れ翼を插む猛虎、角を戴く大虫なりとも、也た只だ身を全うし害を遠ざくることを得るのみ。這の僧、当時身を放ちて便ち倒れ、自ら道ふ、我は是れ麈なりと。一箭を下せば、三歩を走る。山云く、「箭を看よ」。僧便ち倒る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。這の僧便ち走る、也た甚だ好し。争奈せん只だ三歩を走り得たるのみなることを。五歩若し活ならば、群を成して虎を趁はん。雪竇道ふ、只だ恐らくは五歩にして須らく死すべしと。当時若し跳び得て五歩の外に出でて活する時は、便ち能く群を成して去きて虎を趁はん。其の麈中の麈は、角利きこと鎗の如く、虎も見て亦た之を畏れて走る。麈は鹿中の王たり、常に群鹿を引きて、虎を趁うて別山に入らしむ。雪竇、後面に藥山にも亦た当機出身の処有ることを頌す。正眼従来猟人に付す。藥山は能く射る猟人の如く、其の僧は麈の如し。雪竇是の時、上堂に因つて此の語を挙し、束ねて一団の話と為し、高声に一句を道ひて云く、「箭を看よ」。坐する者、立つ者、一時に起ち得ず。
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『碧巌録』第五十六則此に頌する数句は、帰宗の頌中の語を取る。帰宗昔日、因みに此の頌を作り、号して帰宗と曰ふ。宗門中、之を宗旨の説と謂ふ。後来同安之を聞いて云く、「良公善く能く箭を発するも、要且つ中的を解せず」。僧有り便ち問ふ、「如何にしてか中的することを得ん」。安云く、「関中の主は是れ什麼人ぞ」。後に僧有り欽山に挙似す。山云く、「良公若し恁麼ならば、也た未だ欽山の口を免れ得ず」。是の如くなりと雖も、同安は是れ好心ならず。雪竇道ふ、「君が与に関中の主を放出す」と。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。有形無形、尽く斬つて三段と為す。「箭を放つの徒莽鹵なること莫かれ」。若し善く能く箭を放たば、則ち莽鹵ならず。若し善く放たずんば、則ち莽鹵なること知るべし。「箇の眼を取れば耳必ず聾し、箇の耳を捨つれば目双つながら瞽す」。且く道へ、箇の眼を取れば、什麼としてか却つて耳聾し、箇の耳を捨つれば、什麼としてか却つて双つながら瞽する。此の語は取捨無くして、方に能く透得す。若し取捨有らば則ち見難し。「憐れむべし一鏃三関を破る、的的分明なり箭後の路」。良禅客問ふ、「一鏃三関を破る時如何」。欽山云く、「関中の主を放出し看よ」。乃至末後の同安の公案まで、尽く是れ箭後の路なり。畢竟作麼生。
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『碧巌録』第五十二則此の一句は用ひて前面の公案を顕す。「笑ふに堪へたり同時の灌渓老」。見ずや、僧、灌渓に問ふ、「久しく灌渓を響く。到来するに及んで、只だ箇の漚麻池を見る」。渓云く、「汝は只だ漚麻池を見て、且つ灌渓を見ず」。僧云く、「如何なるか是れ灌渓」。渓云く、「劈箭急なり」。又た僧、黄竜に問ふ、「久しく黄竜を響く。到来するに及んで、只だ箇の赤斑蛇を見る」。竜云く、「子は只だ赤斑蛇を見て、且つ黄竜を見ず」。僧云く、「如何なるか是れ黄竜」。竜云く、「拕拕地」。僧云く、「忽ち金翅鳥の来たるに遇ふ時如何」。竜云く、「性命存し難し」。僧云く、「恁麼ならば則ち他に食噉せられ去らん」。竜云く、「子の供養を謝す」。此れ総て是れ孤危を立す。是なることは則ち也た是なるも、費力を免れず。終に趙州の尋常用ふる底に如かず。所以に雪竇道ふ、「解く劈箭と云ふも亦た徒労」と。只だ灌渓・黄竜の如きは即ち且く致く。趙州云く、「驢を渡し馬を渡す」と。又た作麼生か会せん。試みに弁じ看よ。
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『碧巌録』第二十五則這般の事、若し是れ通方の作者ならば、古人の実処に到って、自然に力を費やさず。他人の他底を搆へ得る無きを見て、復た自ら徴して云く、「畢竟如何」。又奈何ともし得ず。自ら云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。這箇の意又作麼生。且く道へ、什麼の処を指して地頭と為す。妨げず句中に眼有り、言外に意有ることを。自ら起き自ら倒れ、自ら放ち自ら収む。豈に見ずや、厳陽尊者、路に一僧に逢ひ、拄杖を拈起して云く、「是れ什麼ぞ」。僧云く、「識らず」。厳云く、「一条の拄杖も也た識らず」。厳復た拄杖を以て地上に劄すること一下して云く、「還た識るや」。僧云く、「識らず」。厳云く、「土窟子も也た識らず」。厳復た拄杖を以て担って云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。厳云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。古人這裏に到って、什麼と為てか住まることを肯ぜざる。雪竇頌有り、云く、「誰か機に当たって挙して賺かざる、亦還た希なり。峭峻を摧残し、玄微を銷鑠す。重関曾て巨いに闢く、作者未だ同じく帰せず。玉兎乍ち円かに乍ち欠け、金烏飛ぶに似て飛ばず。盧老知らず何れの処にか去る、白雲流水共に依依たり」。什麼に因ってか山僧道ふ、「脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ」と。纔かに計較を作さば、便ち是れ黒山鬼窟裏に活計を作す。若し見得して徹し、信得して及ばば、千人万人も自然に羅籠すれども住まらず、奈何ともし得ず。動著し拶著すれば、自然に殺有り活有り。雪竇他の意を会して「直に千峰万峰に入り去る」と道ふ、方に始めて頌を成す。落処を知らんと要せば、看取せよ雪竇の頌に云く。
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