碧巌録 / 第五十六則
良云。恁麼則知過必改。也不妨奇特。欽山云。更待何時。看他恁麼祇對。欽山所問。更無些子空缺處。後頭良禪客却道。好箭放不著所在。拂袖便出。欽山纔見他恁麼道。便喚云。且來闍黎。良禪客果然把不住。便回首。欽山擒住云。一鏃破三關則且止。試與欽山發箭看。良擬議。欽山便打七棒。更隨後與他念一道呪云。且聽這漢疑三十年。如今禪和子盡道。為什麼不打八下。又不打六下。只打七下。不然等他問道試與欽山發箭看。便打。似則也似。是則未是在。這箇公案。須是胸襟裏不懷些子道理計較。超出語言之外。方能有一句下破三關。及有放箭處。若存是之與非。卒摸索不著。當時這僧。若是箇漢。欽山也大嶮。他既不能行此令。不免倒行。且道關中主。畢竟是什麼人。看雪竇頌云。
新字:良云。恁麼則知過必改。也不妨奇特。欽山云。更待何時。看他恁麼祇対。欽山所問。更無些子空欠処。後頭良禅客却道。好箭放不著所在。払袖便出。欽山纔見他恁麼道。便喚云。且来闍黎。良禅客果然把不住。便回首。欽山擒住云。一鏃破三関則且止。試与欽山発箭看。良擬議。欽山便打七棒。更随後与他念一道呪云。且聴這漢疑三十年。如今禅和子尽道。為什麼不打八下。又不打六下。只打七下。不然等他問道試与欽山発箭看。便打。似則也似。是則未是在。這箇公案。須是胸襟裏不懐些子道理計較。超出語言之外。方能有一句下破三関。及有放箭処。若存是之与非。卒摸索不著。当時這僧。若是箇漢。欽山也大嶮。他既不能行此令。不免倒行。且道関中主。畢竟是什麼人。看雪竇頌云。
書き下し
良云く、「恁麼ならば則ち過ちを知つて必ず改めん」。也た妨げず奇特なることを。欽山云く、「更に何れの時をか待たん」。看よ他の恁麼に祇対するを。欽山の問ふ所、更に些子の空欠の処無し。後頭に良禅客却つて道ふ、「好箭、放つて所在に著かず」と。袖を払つて便ち出づ。欽山纔かに他の恁麼に道ふを見て、便ち喚んで云く、「且く来たれ闍黎」。良禅客果然として把不住、便ち首を回らす。欽山擒住して云く、「一鏃三関を破ることは則ち且く止く、試みに欽山が与に箭を発し看よ」。良擬議す。欽山便ち打つこと七棒、更に随後に他が与に一道の呪を念じて云く、「且く這の漢の疑ふこと三十年なるを聴さん」。如今の禅和子尽く道ふ、「什麼としてか八下を打たず、又た六下を打たず、只だ七下を打つ」と。然らずんば、他の「試みに欽山が与に箭を発し看よ」と問ふを等つて便ち打たんと。似たることは則ち也た似たるも、是なることは則ち未だ是ならざること在り。這箇の公案、須らく是れ胸襟裏に些子の道理計較をも懐かず、語言の外に超出して、方に能く一句の下に三関を破る有り、及び箭を放つ処有るべし。若し是と非とを存せば、卒に摸索不著ならん。当時這の僧、若し是れ箇の漢ならば、欽山も也た大いに嶮ならん。他既に此の令を行ずること能はず、倒行を免れず。且く道へ、関中の主、畢竟是れ什麼人ぞ。看よ雪竇頌して云く。
現代語訳
良は「それなら過ちを知って必ず改めましょう」と言った。これもなかなか見事である。欽山は「この上いつを待つのか」と言った。見よ、このような応対を。欽山の問いには少しの隙もない。そのあと良禅客はかえって「良い矢を放ったのに、当たった所がない」と言い、袖を払って出て行った。欽山は彼がそう言うのを見るや、すぐに「まあ来なさい、お坊さん」と呼んだ。良禅客は案の定こらえきれず、振り返った。欽山はつかまえて言った、「一本の矢で三関を破ることはひとまず置いて、試みにこの欽山のために矢を放ってみよ」。良はためらった。欽山はすぐに七棒打ち、さらにそのあと彼のために一つの呪文を唱えて言った、「まあこの男が三十年疑い続けるのを許してやろう」。今どきの禅僧はみな「なぜ八回打たず、六回打たず、七回だけ打ったのか」と言う。また、さもなくば「『試みに欽山のために矢を放ってみよ』と言われたところで、すぐに打てばよかったのだ」と言う。似ていることは似ているが、正しいかといえばまだ正しくない。この公案は、胸の内に少しの理屈も計算も抱かず、言葉の外へ抜け出て、はじめて一句のもとに三関を破り、また矢を放つところがある。もし是と非とを残しているなら、結局手探りすらできない。あのとき、この僧がもし本物の男であったなら、欽山のほうこそ大いに危うかったであろう。彼はこの号令を行うことができなかったので、逆さまに行うことを免れなかった。さて言ってみよ、関所の中の主とは結局何者か。見よ、雪竇は頌していう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第五十六則挙す。良禅客、欽山に問ふ、「一鏃三関を破る時如何」。山云く、「関中の主を放出し看よ」。良云く、「恁麼ならば則ち過ちを知つて必ず改めん」。山云く、「更に何れの時をか待たん」。良云く、「好箭、放つて所在に著かず」。便ち出づ。山云く、「且く来たれ闍黎」。良、首を回らす。山、把住して云く、「一鏃三関を破ることは即ち且く止く、試みに欽山が与に箭を発し看よ」。良、擬議す。山、打つこと七棒して云く、「且く這の漢の疑ふこと三十年なるを聴さん」。
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『碧巌録』第五十六則良禅客も也た妨げず是れ一員の戦将なることを。欽山の手裏に向かつて、左に盤り右に転じ、鞭を墜し鐙を閃かす。末後惜しむべし、弓折れ箭尽く。是の如くなりと雖も、李将軍自ら嘉声の在る有り、封侯を得ざるも也た是れ閑なり。這箇の公案、一出一入、一擒一縦、当機覿面に提し、覿面当機に疾し。都て有無得失に落ちず、之を玄機と謂ふ。稍や些子の力量を虧けば、便ち顛蹶有り。這の僧も亦た是れ箇の英霊底の衲子、箇の問端を致して、妨げず群を驚かすことを。欽山は是れ作家の宗師、便ち他の問頭の落処を知る。鏃とは箭鏃なり。一箭に三関を射透する時如何。欽山の意に道ふ、「爾が射透し得ることは則ち且く置く、試みに関中の主を放出し看よ」と。
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『碧巌録』第五十六則此に頌する数句は、帰宗の頌中の語を取る。帰宗昔日、因みに此の頌を作り、号して帰宗と曰ふ。宗門中、之を宗旨の説と謂ふ。後来同安之を聞いて云く、「良公善く能く箭を発するも、要且つ中的を解せず」。僧有り便ち問ふ、「如何にしてか中的することを得ん」。安云く、「関中の主は是れ什麼人ぞ」。後に僧有り欽山に挙似す。山云く、「良公若し恁麼ならば、也た未だ欽山の口を免れ得ず」。是の如くなりと雖も、同安は是れ好心ならず。雪竇道ふ、「君が与に関中の主を放出す」と。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。有形無形、尽く斬つて三段と為す。「箭を放つの徒莽鹵なること莫かれ」。若し善く能く箭を放たば、則ち莽鹵ならず。若し善く放たずんば、則ち莽鹵なること知るべし。「箇の眼を取れば耳必ず聾し、箇の耳を捨つれば目双つながら瞽す」。且く道へ、箇の眼を取れば、什麼としてか却つて耳聾し、箇の耳を捨つれば、什麼としてか却つて双つながら瞽する。此の語は取捨無くして、方に能く透得す。若し取捨有らば則ち見難し。「憐れむべし一鏃三関を破る、的的分明なり箭後の路」。良禅客問ふ、「一鏃三関を破る時如何」。欽山云く、「関中の主を放出し看よ」。乃至末後の同安の公案まで、尽く是れ箭後の路なり。畢竟作麼生。
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『碧巌録』第八十一則這の公案、洞下には之を借事問と謂ひ、亦た之を辨主問と謂ふ。用ひて当機を明かす。鹿と麈とは尋常射易し。唯だ麈中の麈有り、是れ鹿中の王なり、最も是れ射難し。此の麈鹿、常に崖石の上に於て其の角を利ぎ、鋒鋩の如く頴利なり。身を以て群鹿を護惜し、虎も亦た近傍すること能はず。這の僧も亦た惺惺に似て、引き来つて藥山に問ひ、用ひて第一機を明かす。山云く、「箭を看よ」。作家の宗師、妨げず奇特なることを。石火を撃つが如く、閃電光に似たり。豈に見ずや、三平初め石鞏に参ず。鞏、纔かに来るを見て、便ち弓を彎く勢を作して云く、「箭を看よ」。三平、胸を撥開して云く、「此は是れ殺人箭か、活人箭か」。鞏、弓弦を弾くこと三下す。三平便ち礼拝す。鞏云く、「三十年、一張の弓、両隻の箭、今日只だ半箇の聖人を射得たり」と。便ち弓箭を拗折す。三平後に大顛に挙似す。顛云く、「既に是れ活人箭ならば、什麼と為てか弓弦上に向つて辨ずる」。三平無語。顛云く、「三十年後、人の此の話を挙せんことを要すとも、也た得難し」。法燈に頌有りて云く、「古へ石鞏師有り、弓矢を架して坐す。是の如くすること三十年、知音一箇も無し。三平的に中り来り、父子相ひ投和す。子細に返つて思量すれば、元と伊は是れ射垛なり」。
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『碧巌録』第八十一則石鞏の作略、藥山と一般なり。三平、頂門に眼を具し、一句下に向つて便ち的に中る。一に藥山の「箭を看よ」と道ふに似たり。其の僧、便ち麈と作つて身を放ちて倒る。這の僧も也た作家に似たり、只だ是れ頭有りて尾無し。既に圏繢を做して藥山を陥れんと要す、争奈せん藥山は是れ作家なることを。一向に逼り将ち去る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。陣を展べて前に向ふが如く相似たり。其の僧便ち走る、也た好し。是なることは則ち是なれども、争奈せん脱灑ならず、脚に粘し手に粘す。所以に藥山云く、「泥団を弄する漢、什麼の限りか有らん」。藥山当時、若し後語無くんば、千古の下、人の検点に遭はん。山云く、「箭を看よ」、這の僧便ち倒る。且く道へ、是れ会すとや、是れ会せずとや。若し是れ会すと道はば、藥山什麼に因つてか却つて恁麼に「泥団を弄する漢」と道ふ。這箇最も悪し。正に僧の徳山に問ふに似たり、「学人、鏌鎁の剣に仗りて師の頭を取らんと擬する時如何」。山、頸を引きて近前して云く、「[囗@力]」。僧云く、「師の頭落ちぬ」。徳山、頭を低れて方丈に帰る。又た巌頭、僧に問ふ、「什麼の処よりか来る」。僧云く、「西京より来る」。巌頭云く、「黄巣過ぎて後、曾て剣を収得すや」。僧云く、「収得す」。巌頭、頸を引き近前して云く、「[囗@力]」。僧云く、「師の頭落ちぬ」。巌頭呵呵大笑す。這般の公案、都て是れ陥虎の機なり、正に此に類す。恰も是れ藥山、他を管せず、只だ識得破するが為に、只管に逼り将ち去る。雪竇云く、「這の僧、三歩は活なりと雖も、五歩にして須らく死すべし」。這の僧、甚だ箭を看ることを解すと雖も、便ち身を放ちて倒る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。僧便ち走る。雪竇道ふ、「只だ恐らくは三歩の外は活きざらん」。当時若し五歩の外に跳び出でば、天下の人便ち他を奈何ともせじ。作家相見するには、須らく是れ賓主始終互換して、間断有ること無かるべし、方に自由自在の分有り。這の僧、当時既に始終すること能はず、所以に雪竇の検点に遭ふ。後面亦た自ら他の語を用ふ。頌に云く、
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『碧巌録』第五十六則君が与に関中の主を放出す、箭を放つの徒莽鹵なること莫かれ。箇の眼を取れば耳必ず聾し、箇の耳を捨つれば目双つながら瞽す。憐れむべし一鏃三関を破る、的的分明なり箭後の路。君見ずや、玄沙言へること有り、大丈夫は天に先だつて心の祖たり。
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