葉隠 / 聞書第十一
大行は細瑾を顧みずと云ふ事あり。奉公無二の忠節(此の事委しく愚見集にあり)を盡し候へば、餘の事は大方にしても、間には我が儘いたづらも苦しからず候。何もかも落度なく揃ひ候へば、却つて見にくき所あり。多分肝要の所が薄くなり候。大業をするものは、ゆづがなければならぬものとなり。身に大節ある時は小過ありといへども、不孝とせずともこれあるなり。
新字:大行は細瑾を顧みずと云ふ事あり。奉公無二の忠節(此の事委しく愚見集にあり)を尽し候へば、余の事は大方にしても、間には我が儘いたづらも苦しからず候。何もかも落度なく揃ひ候へば、却つて見にくき所あり。多分肝要の所が薄くなり候。大業をするものは、ゆづがなければならぬものとなり。身に大節ある時は小過ありといへども、不孝とせずともこれあるなり。
書き下し
大行(たいこう)は細瑾(さいきん)を顧みずと云う事あり。奉公無二(ぶに)の忠節(此の事委しく愚見集(ぐけんしゅう)にあり)を盡し候えば、餘(よ)の事は大方にしても、間(あいだ)には我が儘(まま)いたづらも苦しからず候。何もかも落度(おちど)なく揃い候えば、却って見にくき所あり。多分肝要(かんよう)の所が薄くなり候。大業(たいぎょう)をするものは、ゆづがなければならぬものとなり。身に大節(たいせつ)ある時は小過(しょうか)ありといえども、不孝とせずともこれあるなり。
現代語訳
「大行は細瑾を顧みず(大きな行いをなす者は細かな傷を気にしない)」という言葉がある。主君への二心なき忠節(このことは詳しく愚見集にある)を尽くしていれば、そのほかのことは大まかであっても、ときには多少の勝手やいたずらがあっても差し支えない。何もかも落ち度なくそろっていると、かえって見苦しいところがある。たいてい肝心のところが薄くなってしまうものだ。大きな仕事をなす者は、多少のむらや偏りがなければならないのである。身に大きな節義があるときは、小さな過ちがあっても、不出来とはしないということもあるのだ。
解説
この章句が説くこと
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