葉隠 / 聞書第十一
古老の侍、上髭さがり、そり捻ぢ候事は、陣中にて首を取り候印に、鼻耳をそぎ候節、男女の紛れとれなきため、髭さがりを加へ、そぎ候なり。その時、髭さがりとれなき者は、女に紛れ候ゆゑ、打捨て候。死後に首を捨てられざるやうにとの嗜みなり。常住、毎朝、水にて顏を洗ひ候へば、討死の時顏色變ぜずといへり。
新字:古老の侍、上髭さがり、そり捻ぢ候事は、陣中にて首を取り候印に、鼻耳をそぎ候節、男女の紛れとれなきため、髭さがりを加へ、そぎ候なり。その時、髭さがりとれなき者は、女に紛れ候ゆゑ、打捨て候。死後に首を捨てられざるやうにとの嗜みなり。常住、毎朝、水にて顏を洗ひ候へば、討死の時顏色変ぜずといへり。
書き下し
古老の侍、上髭(うわひげ)さがり、剃(そ)り捻(ね)じ候事は、陣中にて首を取り候印(しるし)に、鼻・耳をそぎ候節、男女の紛れとれなきため、髭さがりを加え、そぎ候なり。その時、髭さがりとれなき者は、女に紛れ候ゆえ、打ち捨て候。死後に首を捨てられざるようにとの嗜(たしな)みなり。常住(じょうじゅう)、毎朝、水にて顔を洗い候えば、討死の時顔色変ぜずといえり。
現代語訳
古参の侍が上髭を伸ばし、剃り整えて捻じておくのはなぜか。それは合戦の陣中で、討ち取った首の証しに鼻や耳を削ぎ落とすとき、男の首か女の首か紛れないようにするためである。髭を蓄えておけば男とわかるが、髭のない者は女と見分けがつかず、首を打ち捨てられてしまう。つまり、死後に自分の首がぞんざいに捨てられないための心得なのだ。また日頃から毎朝、水で顔を洗っておけば、討死したときも顔色が変わらず見苦しくない、と言い伝えられている。
解説
武士が上髭を蓄えた実用的な理由を説く一条です。戦場で討たれた首は、証拠として鼻や耳を削がれることがあり、そのとき髭がなければ女と見分けられず、手柄の首として扱われずに打ち捨てられてしまう。だから髭は、死後も自分の首が武士としてきちんと扱われるための「嗜み」だというのです。毎朝の洗顔も、討死したときの顔色を保つための備えでした。いずれも、いつ死んでもよいように身なりを整えておく常在戦場の心構えを示します。もっとも、死を常に前提とする価値観は現代とは大きく隔たります。今日的には、身だしなみを通じて自らの覚悟や矜持を保つ姿勢、として受け止めるのがよいでしょう。
この章句が説くこと
葉隠武士の嗜み上髭身だしなみ常在戦場討死
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