葉隠 / 聞書第十一
志波甚兵衞申し候は、「惡事究の内に、落度無く申しのがれ候者を、聞召分けられ候儀殘念の事に候。惡事の中に立ち、一人落度無く仕退け候はゞ、加增立身仰付けられ度く候なり。」
新字:志波甚兵衞申し候は、「悪事究の内に、落度無く申しのがれ候者を、聞召分けられ候儀残念の事に候。悪事の中に立ち、一人落度無く仕退け候はゞ、加增立身仰付けられ度く候なり。」
書き下し
志波甚兵衛(しばじんべえ)申し候(そうろう)は、「悪事究(きわ)めの内に、落度(おちど)無く申しのがれ候者を、聞召分(きこしめしわ)けられ候儀(ぎ)残念の事に候。悪事の中に立ち、一人落度無く仕退(しの)け候はば、加増立身(かぞうりっしん)仰付(おおせつ)けられ度(た)く候なり。」
現代語訳
志波甚兵衛が言うには、「悪事の詮議のなかで、落ち度なく言い逃れた者を、お取り調べで見抜いて咎められるのは残念なことだ。悪事の渦中に立ちながら、一人も落ち度なく切り抜けたのなら、むしろ加増や出世を仰せつけられてよいくらいのものだ。」
解説
悪事の詮議という危機の場で、少しも落ち度なく巧みに切り抜けた者は、その手腕をこそ評価すべきだ、という志波甚兵衛の言葉です。一見すると罪をごまかす者を褒める逆説的な物言いですが、その真意は、追い詰められた極限の状況で冷静さと才覚を失わず、破綻なく事を処理しきる力量の高さを称えている点にあります。ただ潔白であることより、窮地で崩れない胆力と機転を重んじる武士の価値観がうかがえます。これは現代でいえば、危機管理能力や修羅場での対応力の評価に通じるものです。もっとも、悪事そのものを是とするわけではなく、あくまで極限での立ち回りの見事さを説いた一条として読むべきでしょう。
この章句が説くこと
葉隠志波甚兵衛胆力機転危機管理窮地
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